2019/7/5

7月3日、本誌初代編集長(現・主筆)の水村和彦が急逝いたしました。
以下、故人との思い出を書き連ねたいと思います。敬称をつけさせていただくことをご了承ください。

水村さんとは、マクール創刊前、私がサラリーマンを辞めてしばらくフラフラしていた時に、創刊時からの本誌アートディレクター・谷山勉さんのお兄さんの博さんを通じて出会いました。
その後、水村さんの個人事務所のアルバイトとして働くことに。もう30年近く前の話です。
その事務所の名前こそ、マクール、そう、マクールという名前は雑誌創刊前から存在していたわけです。

当時は主に自動車雑誌に記事を書いていた水村さんは、担当編集者が原稿を受け取りに来ると「マリオカートでオレに勝ったら原稿渡してやる」とか、めちゃくちゃなことを言うジジーでした(笑)。
そうそう、まだ水村さんも30代の半ばでしたけれど、その風貌からジジーと呼ばれていました。

しばらくするとマクールを創刊。3連単がなかった時代で、いまとは違い「1点ウン万円!」みたいな激しい勝負をしていましたね。
そういう豪快さのある反面、とても神経質で慎重な一面も持っていました。

一度、一緒にイタリアに大好きだったサッカーの試合を観に行ったとき、夜にスポーツ新聞を買いに行ってくると言うと、危ないからやめたほうがいいと本気で反対されました。
しかし、観に行った試合では、リベリアの怪人ことジョージ・ウェアが相手コーナーキックのこぼれ球を奪うとそのままドリブルで独走。
何人もの守備陣を交わしゴールを決める…、このゴールは20世紀のベストゴール100に入るミラクルプレイとして後世に語り継がれるゴールでした。
それをスタジアムでライブで目撃できたのは「持ってる」水村さんならではでしょう。

先週の金曜日にはいつもと変わらず一緒に仕事をしていた水村さんが、もうこの世にはいないというのは、とても信じられないことです。
水村さんがこの世に生み出したマクールをこれからもずっと続けていくことが、私や残されたスタッフができる唯一の恩返しでしょう。
水村さん、どうか見守っていてください。そして安らかにお休みください。

合掌。


7月1日まで元気だったのに

水村和彦@takoyaki50