0283大学への名無しさん
2020/05/26(火) 21:46:53.95ID:319z3p6D0他の私大医学部ならば、面接の段階で「こいつ顔色悪いな〜、病気持ちだな?医師の仕事は無理だろ〜・・・」
っていう理由で高確率で落ちそうな、棺桶に片足突っ込んでる状態のまま医師になった女もいる大学だからな。
こういう意味ではいい大学だ
【負けるもんか】がん・ぜんそくと闘う医師 前田恵理子さん 不屈の人生で「救いを」 患者へのメッセージ
https://www.sankei.com/life/news/191026/lif1910260026-n1.html
東大病院に勤務する前田恵理子さん(42)は日々、がんに向き合っている。放射線科医として、そして「がん患者」として。
平成27年2月。自分の目で、肺に影を見つけた。手術の結果、肺の外側の膜に到達している進行がんと判明。
5年生存率3割という数字を突き付けられた。 「自分がいなくなったら、4歳になったばかりの長男と夫はどうなるのか」
という絶望感。それはすぐに、がんと闘う決意に変わった。「3割あればクリアできる。絶対に勝つ」
仕事をしている病院で治療を受ける。8〜9月には、4回目の再発に対して放射線治療を受けた。
闘いはまだ途上だが、「5年」まで半年を切っている。 がん以外の病ともつきあってきた。
父の転勤の都合で、小学5年から暮らしたオランダでぜんそくを発症。
帰国直後の中3の1年間には発作が頻発、8回の入院を繰り返した。
夏休みに救急車で呼吸が止まり、死線をさまよってからは、薬でコントロールができなくなった。
「酸欠で考えられない。生きているので精いっぱいだった」。
編入した中高一貫の桐蔭学園(神奈川)での数学の順位は当初、760人中730位。
それが高2のときには総合成績で学年トップになり、卒業まで譲らなかった。
努力の原動力は、医者になるという夢だった。
「小4のときに買ってもらった顕微鏡で自分の赤血球などを見て、言いようのない感動を覚えた」
東大医学部に現役で合格した。だが、解剖用の脳を漬けるホルマリンや、多忙な臨床実習の影響で、
在学中にぜんそくが悪化。30代まで約8年、重さ約5キロのボンベをカートでひき、
酸素を吸入しながら日常生活を送ることになった。