京都府立医科大学14
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【For新入生】
府立医のWi-Fi、通称“kpum-air”は無料なので
じゃんじゃんつないで、どうぞ。やり方はこちら↓。
http://www.f.kpu-m.ac.jp/k/comproom/kpum-air.html
府立大の稲盛でも病院内でも本校でも看護学舎でも全てで繋がります(`・ω・´)ゞ。 >>前スレで京大図書館UPしてたひと
京大図書館って京府医生でも自習できるの? >>5
大学間の相互協定で、京大以外の図書館の利用もできたはず
自習はちょっと自重しろ 学生の本分ね、確かに。
部活は府立医系列の村社会に引き留めるためのものになってる面もあるから、それを軽視すると言うのは大学や病院側にとっては長期的に見て不利になると思うけどな。
ま、俺にとっては良い改革。 〜大森 一樹監督×田中 誠一さん対談 in トリアス〜 @図書館ホール 2017/11/04(土)昼
【大森 一樹監督の経歴】
・2浪2留で卒業。学年進行は12234456。
・学費は月1000円、実習は年8000円で1年に計20000円。8年で16万円かかりました。
・7回目の受験で国試に通る(当時は年に2回あったので3年かかった)。
・「府議会で問題になるから医者にならんでもええから試験だけはどうしても受かって!」と
7回目の受験前に、学生課から言われた。そのため気合を入れてなんとか通した。
・今は大阪芸大で教えてるが当時は映画家になる方法がなかった。当時の出身は東大ばっか(日大とかにはあったけどね)。
・今思うと医学部の8年間は『ヒポクラテスたち』を作るためだったんだな、と思う。
『ニーゼと光のアトリエ』を作ったブラジルの監督は13年かかったと聞いたので、
単純な比較は出来るもんでもないけど、8年は短かったな(=゚ω゚)?
・当時映画監督は500人で医師は10万人だった。10万分の1より500分の1の方が良いと思った。 【府立医について】
・橘井寮は当時女人禁制だった。今は男女とも入れるようで信じられない。
・でも当時もだんだん軟化していた。
→女性も23時までは寮内にいていいとなった。すると、23時に一旦外に出てダベってて、
24時になって日が変わったらまた入る…という知恵をきかせたやつも…(^ω^;)。
・橘井寮は禁酒だったので窓から顔を出して飲酒しとるやつとかもいた(≧ω≦)。
・窓からションベンするやつも…。
・当時も学生中に子供作ったり、子供がいたりしてる人はいたよ! 【医療とか映画について】
・今の知識量は当時の3〜5倍くらいなんじゃないだろうか。
・『ドクターG』という医療の授業がエンターテイメントになってるなんて信じられない。
・日本の病院は外国よりすごいよ。
・今の医療ロボット・3D技術はすごい。
・『法医学教室の午後』(小説・映画)は面白いよ。
・『エマージェンシーコール』(大森 一樹監督の作品)を作ったのは
黒澤 明監督の『赤ひげ』の影響。当時日本は貧しくなかったからフィリピンに行って撮った。
・黒澤 明監督や溝口 健二監督の映画は伝統的でクラシック。能・狂言・歌舞伎レベルだよ。
・『チャンピオン』の『ブラック・ジャック』はもちろん読んでいたよ。 【映画『ヒポクラテスたち』について】
・北山 修さんは7つ上の先輩!出てくれはりました。
・手塚 治虫先生はスケジュール的に無理かなーと思ったけど、オファー出したら受けてくださった。
・府立医では撮らせて貰えなかった。スタッフの多くが東京に居たのもあったけどね。
→結果東邦大学で撮った。オペシーンは宇治の徳洲会病院で。
・『ヒポクラテスたち』は残った映画。「残そう。」とか『残るように!』と思って作った映画ではなかった。
それは運も良かったし観客も良かった、ということ。
・近代美術館(?)で自分の作った10何本かの映画を上映してもらうイベントにおいて、
最初はその中に『ヒポクラテスたち』を選んでいなかったため、
「あれはいれなアカンでしょ。」とフィルムセンターの人に言われた。
・最近『ヒポクラテスたち』の良さを自分で認められるようになった。 【質問タイムにて】
・「『ヒポクラテスたち』という題名が最高です!作って下さってありがとう(`・ω・´)ゞ!」
→「(あなたの感想ですよね(=゚ω゚)?)どうもありがとうございます。」
・「そろそろ『ヒポクラテスたち』の続きは作られませんか?」
→「今続きを作るとなるとこの映画の世代の息子・娘よりも孫世代になるかなぁ。まあ、機会があれば。」
・「蘭ちゃん役のモデルというのはいたのですか?」
→「あの方は大森監督が実際に入学式で一緒に写真撮影した女性がモデル。そういうドロップアウトする存在も描きたかったので、シーンを入れました。」
【最後に】
「出たとこでDVD売ってるよ(今日は来て下さってありがとうございました)。」 by 大森 一樹監督
「皆さんいいお医者さんになって下さいね。」 by 田中 誠一さん 「ヒポクラテスたち」の撮影時、ちょうど橘井寮に在寮してたよ。
寮会議で寮生たち(内藤剛志とか)がビラやパンフ書類をびらびらめくってるけど、
あれは僕の提供したやつ。
遠い日のおもいで、だな。 2019年度から私大みたく1つ落としたらその学年の単位全てをやり直さないといけないそうな。
今年からでなくて良かった(錯乱)。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています