日東駒専までの大学は大学と呼ぶに相応しい格式と伝統、そして著名なOBを輩出してるが
帝京大学は60年代の高度経済成長期の進学率上昇に伴い、底辺大学の受け皿に出てきた。

学費がぼったくりなのも当時のビジネスモデル。
高度経済成長に伴い地価が上がり、農民が裕福になってきた。学のない親でも子供は大学に行かせてやりたいと思うのは親の情。
親に学なければ、子供もまた学なし。そんな時、帝京大学は需要を掴んで開学した。
金を積めば入れる大学、無学の頭の悪い子供がいるの家庭でも成金なら入学できた。

同じ学費でも玉川や青山は良家の子息が集まるが、帝京には成金しか来なかった。
理由はこういった背景があるんだろう。