大難産の関西大学誕生秘話
大阪の司法官の熱気が上司の児島惟謙大阪控訴院長を巻き込み
さらに上司の 山田顕義司法大臣をも動かした。
当時、裁判官が私立法律学校に出講するのには
司法大臣の許可が必要だった。
この認可に尽力したのが山田司法大臣の部下である児島惟謙である。

 しかし、ここに一つ問題が起こった。児島惟謙の尽力にもかかわらず、
十一月四日の開校記念日までに、講師に予定された井上操、小倉久らに
司法大臣(山田顕義)の出講許可がおりなかったのである。
しかし生徒から開講の要求は高まるばかりで、とりやめることはできない。
そこで公務員でなかった吉田一士が急きょ教壇に立ったのである。
やがて司法大臣(山田顕義)の許可もおり、十二月十三日が開校日と決まった。 ...