大隈重信さんも気の毒と言えばこれほど
気の毒な人も珍しい。
江藤新平、大隈重信の必死の説得も遂に佐賀藩主の
鍋島閑叟を動かすことが出来ず、佐賀藩士は
唯の一人も鳥羽伏見の戦いに参加出来ませんでした。
新政府の位置づけは鳥羽伏見で流した血の量で決まったからね。

江藤新平は新政府に対する不平不満から佐賀の乱を起こすんだが
遅いよ遅すぎます。大隈重信も増長して明治14年の政変の
政変で新政府から叩き出されています。
翌年誕生した早稲田専門学校が伊藤博文や山田顯義らに
睨まれたのもある程度仕方ないよなぁ。

明治新政府の果実は討幕戦で流した血の量で決まりました。
佐賀藩は苦労知らずで新政府に加わったからね。
江藤大隈 甘いな^ 甘すぎる!