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●人食い人種より娯楽要素が強い。

「不良」と「モヤシ金持ち」は、人間関係で二者択一の、両立不可能なトレードオフだ。
彼女たちが、仮にモヤシ金持ちのことを人間として見たら、大学生の判断力で、モヤシに気をつかう。
不良の縄張りで過ごす田舎娘の一部のバイオ女は、モヤシ金持ち坊ちゃんが食べ物に見えた。
人間であれば、トレードオフで気をつかうが、食べ物だから、無茶な捕獲を試みた。
モヤシ金持ちの勉強実験を邪魔して弱らせて、拷問求婚して生命財産を手に入れようとした。
拷問求婚の「拷問」とは、たとえ話とは違い、本物の拷問だから、普通に絶命する。

モヤシ金持ちをだまして不良の縄張りに引き込んで、生理毒を組み合わせて盛れば、完全犯罪になる。
私は東京公立小中高で育ったから、モヤシ金持ちが不良の縄張りに行けば自殺行為だと知ってる。
私そっくりの田舎坊ちゃんは死んじゃった。

かつて人食い人種だった部族に、第二次世界大戦の日本兵のジャングルでの最期を聞く。
唇からヨダレを垂らして思い出し「(穀物主食の)日本人(の肉)は美味しかった。」と笑って答える。
大戦中の未開社会で人肉は、生きる糧の貴重な蛋白源であって、悪いことでもなんでもない。
ジャングルの日本兵たちは、部族が厳しいジャングルで生き残るための、自然の恵みとして血肉になった。

人食い人種が人肉を食べるのは、飢餓と隣り合わせのひもじい未開社会の掟だ。
彼ら彼女らのやってることは、飢餓社会の究極の選択とは違い、親に養われた上での娯楽だ。
一部の悪いバイオ女たちが、モヤシ金持ちを見つめる視線は、食べ物と同じであって、同時に、娯楽だ。
不良の縄張りにいる、一部の悪いバイオ女たちの娯楽に、わざわざ付き合う必要はない。

狭い世界だから逃げ隠れは不可能だ。
非常識な災難に巻き込まれた場合、証拠がないと世間も親も冷たい。法律にすがることになる。
悪いバイオ女たちは、異常シグナルを表に出していた。その異常を物証に取る。
心理学社会学のインテリは親睦を助言するが、法律にすがるので、親睦よりも証拠集めだ。
不良に合わせる世界だから、地道な理系教育は不可能で、理工学部は廃学部になった。