勝海舟は明治6年(1873年)には不和だった福澤諭吉らの明六社へ参加、興亜会(亜細亜協会)
を支援。また足尾銅山鉱毒事件の田中正造とも交友があり、哲学館(現:東洋大学)や専修学校
(現:専修大学)の繁栄にも尽力し、専修学校に「律は甲乙の科を増し、以て澆俗を正す。礼は升
降の制を崇め、以て頽風を極(と)む」という有名な言葉を贈って激励・鼓舞した。