メディアがこれほどまでに多様化した現代、勉強のための道具も紙媒体の参考書だけではなくなっている
今は塾や予備校でもタブレットその他ふんだんに使わせるようになり、
生徒も授業そのものを録画したりと昭和時代には想像すらできなかったであろうことが
当たり前のようにできる時代になっている
昭和時代までは当たり前だった、講師が教壇に立って黒板に板書し、生徒がそれを懸命にノートに書き写す、
というような素朴な光景はもうほとんど絶滅寸前と言っていい

受験英語の傾向が構文的に込み入っていない大量の英文を読ませるようになって久しいが、
今後はテストのフォーマットそのものが大きく変化していくかもしれない
下線部を適切な日本語に訳せ、などという明治以来続いてきた「英文解釈」なる試験方式が
今後も存続していくと躊躇なく断言できる人は誰もいないだろう

英文解釈教室は名著ではあったが、もはや神聖にして不可侵なる聖典ではない
もし伊藤和夫が今の時代に生きていたらビジュアルとも違う、まったく別の教材を上梓していたかもしれない
伊藤の存命中ですら、英文解釈教室を絶賛してやまない若手予備校講師の熱狂を前に
実に冷めた表情で苦笑いしていた伊藤和夫は、2017年の今に至っても未だ存在し続ける、
異様な伊藤和夫信者の存在を今あちらの世界からどんな思いで眺めていることだろうか?