(文春・新潮)
植松聖の父は小学校の図工教師
父と喧嘩ばかりしていたが親があきらめ家を出ていく
母が深夜に大声で「ギャー」と泣いていたことがあった
中学・高校とバスケ部に所属し体育会系の生活をしていた
調理師になりたかったので私立高校の調理科へ
高校生のときバスケ部の部員を殴った
父親と同じ小学校教師になりたかったので帝京大学の教職課程へ
帝京大学では飲み会を頻繁にしていた→アルコール依存症
帝京大学卒業後、自動販売機の設置、デリヘルの運転手などの仕事を転々としていた
帝京大学卒業してから1年間の間に脱法ドラック(現在では危険ドラック)をした(大学4年のときに脱法ドラックをした説も)
刺青を入れたのは大学2年のとき

(フライデー、他)
身長が160cm台と背が小さく女からモテなかった
「大学に入ってから人が変わった、成人式に赤紫の紋付き袴で現れた、『脱法ハーブ(危険ドラック)にハマってるんだよ』といいだしたのもこのころ、
家庭内暴力もあったようで、外まで怒鳴り合う声がよく聞こえた、同居に耐えかねた両親は家を出て八王子のまんしょんで暮らしてる」
1年前に相模原市内のバーで危険ドラックで支離滅裂になった
大学を卒業したころに親は家を出て行った
大学を卒業したころから暴力団関係者とコンビニ前でたむろ
大麻や向精神薬をやっていたらしい
もともと支配欲が人一倍あった
成人式で派手な服装
事件を起こした原因の一つは金。失業保険が6月で最後だから7月は金も底をついていたんじゃないか?
母親は漫画家。亡霊が人間を呪い殺すようなグロテスクな作品。
20のときには脱法ハーブをやっていた
向精神薬をやっていた(違法に買ったものか合法的に手に入れたかは不明)
施設で働きだしたころ、飲んでるときに「障害者は殺しちゃった方がいいよね」と言った
今年の5月に知人に「クスリが手に入るんで売れませんかね?」とクスリの密売をもちかけた