なぜ国葬であるべきか 大阪大名誉教授・坂元一哉

今回このコラムは、安倍晋三元首相をぜひ国葬で送ってほしい、と書き始めるつもりだったが、今月14日には、岸田文雄首相が記者会見で、この秋に国葬を行うと表明した。国葬には否定的な声もあったので、安心した。

実現すれば、首相経験者としては1967(昭和42)年に行われた吉田茂元首相の国葬以来、戦後2度目となる。安倍元首相は、憲政史上最長となる通算8年8カ月にわたって首相の職を務めたが、その間、内政の安定を背景に、卓越した外交的リーダーシップを発揮し、日本の国際的地位を大きく引き上げた。

吉田元首相は1951(昭和26)年のサンフランシスコ平和条約および日米安保条約の締結によって、米国ならびに自由主義諸国との協調という戦後日本外交の礎を築いたが、安倍元首相は、その日本外交をさらに高いステージに引き上げた。世界全体を見渡し、自由民主主義や法の支配などに立脚した「地球儀を俯(ふ)瞰(かん)する外交」「価値観外交」を展開し、「自由で開かれたインド太平洋」という雄大な外交安全保障構想を編み出すことなどによって、日本が自由主義諸国と協調することは単に日本の利益ではなく、自由主義諸国全体にとっても大きな利益となることを説得力をもって示したのである。そして、それは国内外の高い評価を得た。

安倍元首相逝去の後、世界各地から続々と弔意が表されたのも、国外の高い評価の表れだろう。これにより日本外交の礎は、地政学的にも理念的にも格段に強化された。

安倍元首相はまさに、平川祐弘・東京大名誉教授が言うように、明治の元勲にして初代首相の伊藤博文以来、日本に登場した「最大の世界的政治家」だったといえるのではないだろうか(産経新聞14日付の正論欄「安倍晋三元首相の葬儀を国葬に」)。

国家に多大な功績を残した安倍元首相は、参院選での応援演説の最中、警備の隙をついて後ろから近づいてきたひとりの男が放った凶弾に倒れ、まだ60代の若さで突然亡くなった。この異常なできごとは、多くの日本国民と日本の民主主義にとって、大きなトラウマとなるだろう。


日本が、これを取り除くにはかなり長い時間がかかるだろうが、まずは国家として最大の礼節をもって安倍元首相の非業の死を弔うことから始めなければなるまい。