>>527
中学校に入学した頃、スラムダンクが大流行していた
もちろん僕も学年の半数以上の生徒と共に入部届けを出した
顧問もあまりの入部希望者の多さに困っていたが
「先生、バスケがしたいです」と三井バリに泣き出す奴が居たので
渋々ながらも全員の入部が認められた
しかし地元では一応、強豪校だったので練習も厳しく、次々と部員数は減っていった
だけど僕は根性でバスケを続けた
身体も大きくなり、地元じゃちょっとは名の知れた名センターとなった
そして3年になった時、キャプテンに指名された
僕は、これを機に髪型を角刈りにし、ダンクを決める時は必ず「ウホッ!」って叫んだ
そんな努力の甲斐もむなしく、僕のあだ名は「ピッコロ」のまま