>>973
結局は自身を超えられないのが禅門ですが、その中で自身の成長や、菩提がおわかりになれば未達もおわかりになるでしょう。

であるからこそたしかに神秀は、慧能には及ばなかったのです。

公案が解けない人は厳然と、公案が解けた人には及ばない。

ここでの及ばないはそういう及ばないです。

自身を超えられない意味の及ばないなどではない。

まだ修辞に迷っていては、公案は解けません。

クリシュナムルティは公案を否定しました。

解けなかったからでしょう。

なので真禅や孔子、イエスには及びません。

その言説は菩提の役には立たない。

いやしくも法を関する語りの場ならば、役立つ対話を積みたいものです。

それと、傍生にも仏性はありますよ。