幼いころ、私は母親に捨てられた経験がある。
ある日、母親が妹と共に家からいなくなったからだ。その時の事をよく憶えている。
母が妹の手を引いて家を出て行こうとしていた。
「お母さん、どこ行くの」と尋ねると
「お前は来るんじゃない」と邪険に言われた。
もともと母は姉妹のうち姉である私より妹の方を可愛がっていた。妹は母によく似た顔立ちでそして気さくで母には従順だったが、私は母と仲が悪かった祖母にどこか面影があり。
また、母から見たら、私は愛想のない子供に見えたのだろう。
しかし私に言わせれば、それは母の責任でもあった。母が家を留守にして、私や妹を放置するから、まだ中学にもならない私が、家事をやらなければならず。
その日々の不満がたまっていたからだ。
母と妹が姿を消したその日、晩になって帰宅した父は、大きくため息をついた。
父もこの日が来る事を予想していたのだろうか。
それから父と私は二人で暮らすようになった。
仕事に忙しくて父は家にいない日も少なくない、そんなときは私は一人で生活しなければならなかった。
高校三年の初めに、父は病気になって入院した。
その時、父が話してくれたところによれば、母が父に隠れて浮気をしていたらしい。
それだけではなく、母は男と付き合うために家の貯金を使い込んだ上に借金まで作っていたそうだ。
そのことに気づいてさすがの父も母を叱責したのは母が家を出る前の晩のことだそうだ。
当然のように母が残した借金を父は返す事になり、この何年も生活が苦しかったそうだ。
「俺に何かあれば、あいつがお前のもとにそ知らぬ顔して帰ってくるかもしれん。その前に本当のことを話しておこうと思ってな」そう父は言った。
高校を卒業した私は看護学校を通う事にした。
大学に進学する費用は母の借金の返済と、父の入院費のために底をついている。何より、手に職がある方が一人で生きていくには良いと私は判断したからだ。
父もその私の決意を受け入れてくれた。
看護学校は奨学金制度があり、お金がなくとも通う事が出来る。
看護学校二年の時に父は亡くなった。予想出来た事だ。父の病気は癌だった。
葬儀は家族葬で簡単に済ませた。これは父の遺志でもあった。
看護学校を卒業して病院に勤務した。
仕事は大変で、勉強する事も多く、忙しい毎日だったが