>>712
地域と身分、時代によって変わる。

江戸時代、御府内(江戸市中)では、武家は中央やや左側を歩くのが基本。
主家持ちは、角では直角に曲がる。という作法があった。
これは、刀を当てないようにするための作法。
日常の所作も軍事訓練の一貫と見做されていたため。
武家は、外では道の真ん中は歩かない。
基本牛馬、大八車などが優先。
道の真ん中歩くのはDQNだけ。譲れ譲らないで喧嘩になると双方バッせられたし、
主家も叱責を受ける。(御府内で無闇に刀を抜くと本人切腹。場合によっては家名断絶。
主家も管理不行き届きで処罰対象)

町人や僧侶や神主などは、武家が通っているときは一巻ほど開けて斜め後ろを歩く。
真後ろを歩くのは、喧嘩を売っているのと同義だった
(間合いに入る&死角に入る=喧嘩売っている)
武家を追い越すときは、声を掛けて右を通る。
(刀に当らないようにという配慮)

但し、これは江戸御府内だけ。
江戸市中を離れると街道は真ん中を空けて歩く。というルールがあったので
(特に五街道。馬に乗った急使を妨げないように決められていた。大名行列は道の真ん中を通る)
地方や、諸国の大名・旗本の領地でもこれに準じていた。
江戸御府内も街道も宿でも、そんな感じ。

ただし、大阪だけは武家の方が小さくなっていた。
各藩の米屋敷がある関係で大八車などの通行が多いし、
各藩、旗本、禁裏、将軍家のの御用商人も多かった関係。