>>666
>相手が飲めっこないと分かってる無理線な条件を突きつけてんだよ

そんなことないぞ。無茶苦茶な要求はほぼしない。
戦国大名は、家のシガラミやらなんやらでいろんなとこに義理立てしなきゃならない人も多い。
で、その中で自分の家が生き残るのに一番有利な条件を引き出しあってる。
なの信長は、あの時代にはよくあった要求しかしてない。
(あの時代、主人に見切りをつけた部下が背くのは、普通。
背かれた主人にその器量が無かった。ということで皆納得する)

各地の戦国大名が扱いに頭を抱えていたのが一向宗の宗徒達。
本山の命令が絶対で、消臭があれば本山に行く。
本山の命令なら、仕えている主人の命令に背くのも当たり前。というカルト宗教だった。
当時の教主は、ガチガチの一向宗至上主義者で、穏健派の弟や叔父のいう事を聞かない過激派。
信長が清洲城に各宗教の教祖集めて、
宗門の僧兵を使っての戦争介入や傭兵業の終了。
異宗派間での暗殺や武力衝突の禁止を働きかけても、
最後まで反対。理由は「一向宗は他の宗教と違う。他の宗教は邪教だから」と相手にならない。
それでも三度話し合いをして、三度目も決裂してから信長は一向宗(石山本願寺)と争うと決めた。
(同じ一向宗でも、穏健派だった教主弟と叔父達の分派は、その後も存続した)
他の宗教は皆、傭兵業を止めたり宗教観での暗殺や武力衝突を止めたよ。