昭和初期に元老の西園寺公望が昭和天皇に対して「厳しく叱責した」ということが
多くの歴史本に載っているけれど、これの真相が気になる
戦前においては天皇の権威が過去にないくらい高まった時期であり、現人神化される
少し前の時期である
西園寺は首相経験者であり、華族でもあり、年上でもあるがあくまで臣下である
これが「苦言を呈する」とか「諫言する」なら理解できるけど、当時の天皇に対して
「厳しく叱責する」というのは尋常じゃない
人前で叱責したとは考えにくいが、じゃあ個室で二人の時に叱責したとして、
なぜそのような事柄が外部に漏れて、周囲に伝わり、それが後世の歴史本に掲載される
ほどの周知の事実となったのだろうか?
西園寺が漏らしたのか?昭和天皇が漏らしたのか? それはなぜ?
「厳しい叱責」とは、具体的にどんな言葉遣い、口調だったんだろう?
いろいろと興味は尽きない

ちなみに当時とはいえ、軍部や官僚の中には天皇を揶揄したりする人はいたが、
それは「誰が言ったか」がばれないような条件での話、要は陰口や愚痴みたいなもんで
西園寺の叱責とは意味合いがまるで違う