>われわれが出会うことのできる唯一の存在は、『認識されるもの』である。
>『認識するもの』は存在するのではない。『認識するもの』は捉えられない。
>(中略)『認識するもの』が、担いうる唯一の性質づけは、まさに、『それは、これこれの対象であらぬ』ということである」
>サルトル 『存在と無』