Eテレで以前録画してた 北朝鮮帰国事業60年とかなんとかを少し見たけど
苦笑しながら見るのかと思ったけど、途中でひどい話だし全部見ずに止めたよ。
最初に帰国した人達は船で港についたときに驚いたそうだ。
北朝鮮の人達は皆やせほそって顔は真っ黒で。
また当時の北の幹部でのちに脱北した人の話では北の人達も幹部を含めて
驚いたそうだ。日本では乞食のような生活をしてて着る物のない人達が
やってくると思ってたから。
だから帰国者たちは船を下りるときから騙されたといって不穏な空気になってたそうだw

まあ当時の話が日本人、日本政府の考え、社会党の考えと金日成の考えとか
今となってはよくわかる話だ。
当時の若い朝鮮人は日本人として生まれて育って戦後突如 日本国籍から
外国籍になって戸惑うし、何をやっても朝鮮人は嫌われるし
日本政府は在日外国人の生活保障に負担だと思ってたし
社会党は植民地の人を送り返すのは国としても人道的にもよいことだと思ってたし
金日成は北の裕福な面を韓国に見せつけることで有利だと事をすすめた。
9万人以上と数千人の日本人妻が犠牲になった。
一旦60年代の終わりに終了したんだけど70年代の初めにまた帰国事業は
再開された。これは北にとっては別の目的があって
朝鮮総連の息子たちを帰国させて いわゆる人質として朝鮮総連からの
援助を引き出させることだったとか。それが1984年くらいまで続いたそうだ。
そのときはもう北は落ち目になっていくときだけど、断れなかったみたいだね。
悲劇だ。帰国した子息親類が暮らしていくには廻りの人に物資を送らないといけなかった