今じゃ考えられない昭和の生活◆92
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ちょっと前のことなのに、今じゃ考えられないことをしてた・・・みたいなことありますよね。
都会だけど鍵を開けたまま寝てた、とか。
若い人には信じられない、古い人にもそうだったなぁ・・・と思わせるような事。
そういう事実を書いてください!
基本的に、特に皆さんがよくご存知の昭和に限定させていただきます。
マタ〜リと参りましょう。
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【前スレ】
今じゃ考えられない昭和の生活◆91
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1542975485/ >>142
それで「空いてるけど」って言うと「じゃあ引っ越し手伝って」とか言うんだよな
「イヤだよ」と言うと「暇だって言ったじゃん」と来る 話変えて悪いけど、正司敏江・玲児の跳び蹴り漫才って
子供の頃見たときは玲児が敏江の顔面を蹴ってたイメージがあるんだけど
そんなに跳んでたっけ?
プロレスラーでもあるまいに顔面までジャンプできないよなぁと思いつつ
子供の頃はそういうのを見た記憶がある 昭和から平成になって、漫画のレベルがすごい上がったと思う
昭和のなか頃の漫画なんて、今見ると素人?ってレベルの画力だったりする
今はデビュー作でも既にこなれた感じの絵ばかりでびっくりする
皆、デビュー前が長いんだろうね
あと昭和には、スクリーントーン無しの漫画が結構あった
点描は全部手描きだった >>145
やっぱり記憶違いかなぁ
肩くらいまでは水平ジャンプしてたような・・・無理かw >>146
天才バカボンなんてバックが何もないコマとかあったよね
水木しげるの漫画はバックがすごく緻密で、点とか全部(アシスタントの)手書きだったそうだ 自分は逆に、今の方が画力ない人が目立つなと感じる
なんというか、線にメリハリが無くて、紙を切り抜いたような体や髪で、表情にも締まりがない
塩顔と言えばその通りなんだけど >>144
跳び蹴り漫才っつーか、どつき漫才の代名詞なんだわ敏江玲児って
あとこれも割と有名
ttp://pbs.twimg.com/media/Ch7UEj-UYAEeCjU.jpg >>144
跳んでたよ!
奥さんの方も腰屈めてたと思うけど、
すごく小柄な人だったよね。
ほとんど水平に見える跳び蹴りが決まると、どよめきが起きてた。 >>150
レッツゴー三匹もすごかったんだな
>>151
やっぱそうか! そう、ほとんど水平の跳び蹴りが記憶に残っているのです
懐かしい マンガにしても音楽にしても、結局は自分が生まれ育った過程で読んだりきいたものが、その人にとっての基準になるかもね。
自分はガキの頃の音楽、マンガ、スポーツ等が娯楽分野では一番しっくりくる。 菓子屋でおもちゃを販売しちゃいけないみたいな法律があったらしい。だからけっこう大そう
なおもちゃでも、必ず美味くもないガムが2つとかついていた。 >>145
リアル沢村忠応援してたわ
「キックの鬼」も熱くなって見てたよ >>154
駄菓子屋はよかったのかな?
コマとかヨーヨーとか吹き矢とか買ったけど >>156
そんなモノより火薬を使ったブツが心動かしてたわ >>158 あばれはっちゃく、ってその時間じゃなかったっけ
ばーちゃん危篤すぐ来い、って叔父から電話かかってきてその途中やったおぼえがある
おかんがさっさといくで、いうてカブとばしてかけつけた、義理間に合ったけど、おもいっきり泣いた >>160
ロケットか
それも遊んだな
あと誰もが遊んだ銀玉鉄砲 >>162
とーちゃん情けなくって涙が出てくらー! うちは固かったのでNHKばかり見させられた。大草原の小さな家、刑事コロンボ、警部マクロード、などのアメリカ作品。新八剣伝、真田十勇士、プリンプリン物語、三國志、ひげよさらば、などの人形劇。
受信料制度なんか知らなかったから、お気楽だったのだろうと思うが。 白血病で死んだ子供の記録という内容の昔の本を今読んでるんだけど、その子が生前に描いた絵がちらほら載ってるの。
んで、最後に描いた絵ってのが、ムロタニツネ象の「地獄太郎」の模写。
…いや、こんなこと言っても仕方ないんだけど、もうちょっとましな題材はなかったのかと思った。 キャプテンフューチャー、未来少年コナンも好きだった。
あとでキャプテンフューチャーの原作読んでコメット号が単なるロケット型宇宙船と知ってがっくりきた覚えがあったw >>166
新八犬伝見てたよ
坂本九さん…
ところで「はっけんでん」で飲み屋しか変換で出てこない俺の泥にムカつく >>163
違う違う。
水木しげるのアシが後のつげ義春ってこと。 最近のアニメの画の綺麗さには驚いた。
ライムスター宇多丸がアニメ映画「君の名は」の評論で言っていた
「感動しないけど感心した」が正にそれ。 >>170
ええええええ!そうなの!!?? それはびっくり
ゲゲゲの女房で柄本佑が演じてた人かな? それとも斎藤工かあるいは窪田正孝か >>169
さもしい浪人さもじろうだな
ジョー90とかキャプテンスカーレットとかも好きだった >>168
ボケ、コメット号は涙滴型じゃ
アニメの劣化型ディスカバリー号は許せん >>173
ムロタニ先生はビリビリビートが好き
アニメ化名「カミナリ坊やピッカリビー」 >>170
つげ義春は、水木しげるのアシスタントやって絵が上手くなった説があるよな。 >>172
初期のアニメ作品の作画技術の向上っぷりを見るのが楽しい。
バンクをうまく使えたり、リミテッドのコツを掴んだりとかいったスキルの蓄積とかも。
エイトマンの頃は、「こういう絵が描きたいけど描けないんだよお!」というもどかしさが伝わってくるけど、四年後の
マッハGOGOGOの頃には、ちゃんと劇画調の写実的な手がキーを捻って写実的な脚がアクセル踏んでリアルな
メカが走ってる。
子供の時再放送で見て、作画は70年代風で人物の造形や色使いが昔風のちぐはぐな作品だなあと思ってたら、
昭和42年制作と知って舌を巻いた。 >>173
ちなみに、模写してたのは、第2巻の表紙絵に相当する部分。
オリジナルの絵は年相応だけど、漫画の模写と写真を参考に下絵はうまい子だった。 >>169
坂本九さんがお亡くなりの飛行機事故について若い世代が、
「乗客のスマホの位置情報から救助に向かえなかったのか」
とネットで書いていたのを見た時は愕然としました。 その人がいくつか知らないが、お前が赤ん坊の頃でもまだスマホはなかったよと教えてやったらどんな反応するんだろう
と思ったが、どうせ「マジで?」「ヤバいw」しか言わないだろうな スーパーカーが騒がれてた時にマッハ号みたいにジャンプする車を期待してたんだがガッカリしたわ >>180
アニメ手法の進化と言えば、昭和の頃に
「家なき子」のアニメで画期的な手法が採用されて
背景を3分割して、近景、中景、遠景をそれぞれ別に動かすことで
リアルな描写を可能にした、ってのがあったけど
主人公が走る場面の背景で、何故か遠くの景色が速く動いて
手前がゆっくり動くという、実際とは逆になってたのに
それを紹介していた特番でも誰も指摘してなかった >>180
マッハGOGOGOなどの初期のカラーアニメの色使いがけばけばしいのは
白黒テレビでの見栄えを考慮したため。
1975年頃、ようやく白黒テレビを考えない番組がつくられるようになった。
秘密戦隊ゴレンジャーやアタック25など。 >>186
あと、魔法使いサリーの当時のスタッフが、「当時のカラーテレビの発色性能に合わせた」と証言してます。
キャプテンウルトラの宇宙が青いのは、当時の家庭の大半を占めていた小型のモノクロモニターだと、見辛くて
何が何だか判らない(モノクロにするといい按配で宇宙に見える)からだとか。
当時の大人達の証言では、「とにかくカラーテレビは色がぎらぎらして目に刺さった」とかで、カラーテレビを購入
しても、老人達は「今までのテレビは捨てずにわしの部屋に置け」と言ってたそうです。 カラーテレビで懐かしい話を思い出した
兄ちゃんが5歳のときにカラーテレビが欲しくて仕方なくて
でも「高いから我慢しましょうね」とママに言われると良い子だった兄ちゃんは「うん」と言うものの
その夜お風呂でシクシク泣いたりして「カラーテレビが欲しいの?」と聞かれるとコクンと頷いて
「でも高いから我慢ね」と言われるとコクンと頷く
次の日もまたお風呂でシクシク泣いては諭されて我慢
こんな日が10日ほど続いたある日、我が家にカラーテレビが届きましたとさ
当時1歳だった俺が5歳になった頃は欲しい物があればデパートだろうがお店だろうが
床に大の字に寝転んで「買って買って買って買って!」と買わせていたそうだ(あんまり覚えてない)
どちらも昭和の光景ですな >>189
ちなみに支払いは近所の電器屋との交渉で10回払いの「月賦」
高価な商品なのに信販会社なんて通さずに口約束で毎月現金を持って行った
これも今じゃ考えられないな− 昭和のカラーテレビを買う感覚って今で言うと50インチの8Kテレビを買うような感じなのかな >>191
今ググって見たら、物価が今の1/10くらいの時代で(大卒初任給2万円くらい)
当時のカラーテレビの価格は17万円だってさ
つーことは、シクシク泣く可愛い長男のために170万円相当も出費したのか、あの親馬鹿オヤジは! うちは親父が機械道楽だったので、昭和46年にカラーテレビを買いました。 >>189
男の子は大の字じゃなく太の字だとかなんとか
カラー放送の場合は画面にそういう表示が出てたな 今やリモコンなんて当たり前だが、小学4年くらいかな、近所の6年生の家にリモコン付きテレビが来た
ガラス戸の向こうからでもチャンネル変えられるすげーってみんなでワイワイ言ってた覚えがある 初期のTVリモコンは赤外線じゃなく超音波を用いていたので
トラックの騒音やドアの開け締めといったホワイトノイズで
誤動作することが多かった リモコンテレビならともかく昭和46年に初カラーテレビなら、機械道楽だから、とはいえない。
オープンリールかUマチックのビデオならともかく。
俺の周囲、近所、親戚、友達の家では、昭和43〜44年ごろにこぞって買い換えられていて、記念品のタイムカプセルのミニチュアがよく上にのせられていた。
うちは出遅れて昭和45年だった。
万博会場から毎日中継される番組があって、それが途中からカラーになった記憶。 昭和46年かあ
月の小遣いは学年ごとに50円うpしてくれたわ・・ 高度成長期だから、給料も毎月アップしていたからね。。 本当にストレス無く夢ばかりがあった最後の時代だよね、オイルショック前までは。 最初に乗った市営バスの子供料金が5円だったわ
すぐに10円、20円と上がっていった >>197
一戸建てで経済的余裕があるなら普通でしょうが、うちはド貧乏のくせにそういう事をやるから機械道楽なんです… 体温計でよく誤魔化して休んでたw
方法はいくらでもあったwww 高校の時野球部の同級生が大嫌いだった。
そいつの口癖は「野球嫌いなやつは頭が悪い。
野球以外の文化は流行っていない。」
サッカー部の同級生と顔を合わせる度に
言い争いをしていた。 >>202
今も外側にあるんじゃないのかな
派手にプルートされただけで >記念品のタイムカプセルのミニチュア
ナショナルやね 韓流なんてやる前から、韓国に行ってる奴はいた
カジノとかキーセン目的だけどな
台湾なんかも、90年代までは女遊びするとこだったよ
当時遊びに行ってた30代くらいの人は、今60代くらいだろ その昔韓国に行くなんてほとんどが妓生目的のエロ親父で
あとはごく少数の活動家くらいだったな >>208
活動家、行ったら……
タイ━━||Φ|(|゚|∀|゚|)|Φ||━━ホ!!!!! 共通一次の有った頃は今日みたいな日の深夜に回答速報のテレビ放送が有ったけど、今はネットがあるからそんなの要らなくなったんだな 日本的には「昭和時代の韓国」なんて
頻繁にクーデター的首脳交代とは激しい民主化デモ、いかがわしいKCIA跋扈で
自民党が「敵の敵は味方」理論で厚遇して援助して甘やかしていた
「何となくいかがわしい国」
短期滞在の観光ならともかく
「NIES」と新興工業国」と
(日本の昭和60年初頭に)持て囃されても当時は転勤、担当命じられれば「左遷」扱いだった。
現在のアフリカと同じ。 今の若い世代の間じゃ韓国式の食い物とかメイクが流行ってるんだよな
これこそ昔じゃ考えられない事態だわ 半導体工学をソリッドステートエレクトロニクスと呼んでいた
ソリッドステートキドカラー♪ >>213
チョン風メイク気持ち悪いよね
近くに来られるとギョッとする 若者に韓国式なんちゃらが流行っている、と言うニュース自体がやらせ。ヤラセを繰り返し繰り返ししているうちに当たり前当然のこととして定着してしまう。 「○○はもう古い!これからは△△だ!」とか
ネットの無い時代はよくマスコミが煽っていたよな
あと座談会で悪口言わせるやつ
2018年にやって炎上させてた人もいたが ラジオで鶴光が「かやくごはん」って本をプレゼントしてたが
関西の言葉なんて知らなかったから意味がわからなくて「腹腹時計」のパロかと思ってた >>202
それを言うなら「内側」じゃないのかな? スナックという店があるけど、自分が食べているカルビースナックとどういう関係があんだよ
っていつも思いながらムシャムシャ食っていた。 あと、昔はパチンコ屋によくパーラーという名前がついていた。
パーラーといえばフルーツパーラーのイメージがあったので、パチンコ屋
でも豊富な(生絞り)ジュースが置いてあるものだと思っていた。 かやくご飯のおにぎりを「ばくだん」とネーミングして供していた飲食店もある 入院してたとき薬の説明に来た薬剤師さんと実習の学生さんに
ジェネリックは以前ゾロ薬て言ってましたねと言うと二人ともなんか引きつったような顔をした
今ではゾロ薬という言葉はほとんど放送禁止的になってるようだ >>226
道民(札幌)だが、うちの近所には今でもなんとかパーラーって普通にあるなあ そういえば「純喫茶」って見なくなったね
少しは生き残ってるのかな? 昼に入った中華食堂で朝ドラの再放送が流れてて(店主ガン見)
主人公である信用組合の元理事長に退職金5万円を渡す場面で
隣のテーブルにいた若い娘がウッフングループの一人が
「安っ!」と言ってたけど、物価が違うって知らないんかね
知らなくても想像くらいできるだろうに
・・・
と思ったものの、物心ついたときと今とで物価がほぼ同じ、
下手したら今のほうが安い物すらある人生を送って来た子に
理解しろという方が無理なのかな
ちなみに昭和33年という設定だったけど、今で言う100万くらいかな? >>233
昭和33年の大卒新採の初任給が約13500円、国鉄初乗り10円。
王貞治の契約金が1800万円、板東英二の契約金が2000万円。
今の物価の1/15位と考えると、100万円よりは若干安いかな。 >>235
高校生のとき甲子園で大活躍したからかな。 >>237
一大会での奪三振記録はまだ板東英二だからな >>231
浅草に行くと、所謂純喫茶としか呼びようのない喫茶店が結構ある。
懐かしき砂糖ポッドがあって、勿論全席に灰皿あり。 ・テレビ番組でのぼかし映像(人の顔・車のナンバーなど)はほとんどない
・絵馬などがテレビで紹介される際も個人名を伏せることもない
・長者番付の廃止など考えられない
・病院などでは番号ではなく名前で呼ばれる
・選挙の名簿照合は手作業
・小学生は名札を付けたままで街を闊歩
・学校などでは名簿や連絡網が作られるのが当たり前
・懸賞に応募した翌月以降には自宅の郵便受けがDMで溢れかえる
・芸能人などが子供を出産した場合は子供の名前を公表するのが当たり前
・有名人が結婚した場合は配偶者の氏名も公表
・芸能人の家族の顔が隠されることなど考えられない
・個人宅の電話帳は各家庭に配布
・入学試験や資格試験の合格発表では受験番号とともに個人名も発表
・軽微な単純犯罪で逮捕された場合でも新聞やテレビで実名報道(しかも「容疑者」とは付かずに呼び捨て)
・雑誌の読者投稿コーナーには実名で掲載
・有名人が亡くなった時は新聞などに現住所も記載
・誘拐事件などが解決した後のニュースでは被害者の名前も伏せられずに実名報道
・金融機関の預金通帳には届出印の表示もあるのが当たり前
・民家の表札は苗字だけでなく家族の名前も記載されてるのが当たり前 >>233
それよく聞くんですが、昭和の頃は本当に若い娘はうっふんだったのですか? >>240に追加
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