>>886 一時的に苦がなくなったのでは気付きではないのじゃ。
 その原因に対応する苦が永遠になくなるのが真の気付きなのじゃ。
 そうなれば次の苦を滅することに進んでいくことができるからのう。
 一時的に苦が消えてもまた戻ってくるならば進んではいないのじゃ。
 苦を永遠に滅する気付きが必要なのじゃ。
 それを目指して実践あるのみなのじゃ。

>>887 死の間際まで自分の本心を追及するのじゃ。
 自分とは何なのか、何を自分と思っているのか、それがなくなれば自分はどうなるのか。
 どこまでも追求して行くのじゃ。
 考えるのではなく観察して感じることを自分に明らかにしていくのじゃ。
 それによって自分のことが一つでもわかったならば生きた甲斐もあったということなのじゃ。
 栄耀栄華に塗れて百年生きるより、自分を一つでも知ったことのほうが優れているのじゃ。
 迷いの輪廻から少しでも抜け出す端緒になるからのう。
 実践あるのみなのじゃ。