【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 46
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*悟りを開いた人には偉大な知恵があるらしいわ。
*生活のことなんでも聞いてみましょう。
*あるゆる悩みを聞いてみましょう。
*罵倒、批判だけのレスはスルーよ。
前スレ
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1521065095/l50 >>64 よかったのじゃ。
またおいでなさい。
>>69 そうじゃ、道具は関係ないのじゃ。
直感が大事なのじゃ。
その直感を得る方法に人によって違いがあるから道具も違うのじゃ。
えらい占い師は直感を鍛えるために瞑想などの修業をしたりしているのじゃ。 >>70
いや、だから、地獄と中有は同じ?違う?
馬鹿か、お前は? >>70
で、どう説明するのかな?
> 輪廻するものがないのに中有などというものがある筈は無いのじゃ。
(前スレ)
> >>986 悪人は生まれかわらず長く地獄に居るのじゃ。
> 善人は自らの意志によって早くも生まれるのじゃ。
> 特に意志がなければ普通と同じ位で生まれかわるのじゃ。
> 人によって違うのじゃ。
> >>989 それはまだ生まれていないのじゃ。
> 死の意識のままで苦の観念を味わい続けるのじゃ。
> それが真の地獄なのじゃ。
> 肉身には死によって苦の停止となる終わりが在るが、意識には終わりは無いのじゃ。
> 終わらない苦を味わい続けるのじゃ。 >>70
もう少し仏教の知識や体験を積みなさい。
まるで話にならんじゃないかw 連日仕事が忙しいです。朝から夜遅くまでパソコンに張り付き16時間位作業する日が続いていています。
頭も目も痛いです。
今月乗り切れば少しはマシになりそうなのですが、
それまで何とか元気に乗り切るために身体の癒し方を教えてください。
今も頭と目がズキズキ痛いです。
わたし地獄知ったの小2んとき。
絵本で見せられた。
わんわん泣いた。
「この人たちが可哀相」 て...
なんだろう、自分が怖いとか思わなかったな。
かかってるお医者さまに会って、異界ないの聞かされた。
先生は時空を超えるチカラがあって、目の前からパッと消えちゃう。
中世の有名な絵にも登場してる。
どこ透りぬけるのかと思うけど、冥界なんての、無いらしいよ。 鬼和尚、貪・瞋・痴の煩悩が現れてきたのは、日本では弥生時代だと思います。
縄文時代にはそのような欲はなかったのではないでしょうか?
食べ物が豊富にあったはずですから。
弥生時代になって、米を貯蔵することができるようになって、貧富の差が出て
きました。人口も増え、その頃から競争が生まれたと思います。
鬼和尚はどう思いますか? >>78
休み休みが良い
が
念頭から外すのは更に良い >>78
そこはいわゆるブラック企業なのでは?
それとも自営業?
何れにしてもやりすぎは危険だと思う。
仕事放り投げてでも自分の命を守る方を優先すべきだ。 鬼和尚、皇室に生まれるような人は前世でも高い身分の人が多いですか?
愛子様、眞子様、佳子様、悠仁様の前世を教えてください。 天皇、皇室の方々の祈りは人民を救っているのでしょうか?
民を思う気持ちに嘘は無いと思いますが、それが日本と言う国を本当に救っている事になっているのでしょうか。 >>72>>76>>77 完全論破瞬殺じゃな。
中有などという観念はおぬしが提唱したにも関わらず根拠も示せないのでは完全に論破なのじゃ。
これほど完全な論破は珍しい位じゃ。
これが真のお釈迦様の教えなのじゃ。
1.いつわりを語る人は地獄におちる。
またこの世で自分が言ったのとは異なった行ないをなす人も地獄におちる。
この両者は死後にひとしくなると説かれている。
来世ではともに下劣な業をもった人々なのであるから。
2.人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。
ひとは悪口を語って、その斧によって自分自身を斬るのである。
おぬしは平気で嘘を書いたり、悪口を書いたりしているがそれは仏教徒ではないのじゃ。
わしが他人に聞かれたらおぬしは仏教徒ではない、仏教について何も知らない者じゃ、というじゃろう。
真のお釈迦様の教えをわしから学ぶと良いのじゃ。
>>78 20分毎に休みを入れるのじゃ。
眼の周りをマッサージするのじゃ。
冷水で濡らした冷たいタオルと温水で濡らした暖かいタオルを用意するのじゃ。
冷たいタオルで一分目を冷やして、後に暖かいタオルで一分温めるのじゃ。
最後は冷たいタオルなのじゃ。
首筋をマッサージするのじゃ。
首を前後左右回転させて運動するのじゃ。
いろいろ試して見るのじゃ。 >>80 縄文にもあったじゃろう。
殺し合いとかをしていたようであるからのう。
時代の移り変わりで人は変らないのじゃ。
一人一人が自覚して自らの本心を観察すれば変るのじゃ。
>>83 高い人は多くないのじゃ。
かわいそうな人も多いのじゃ。
町の娘じゃな。善い事を一杯したのじゃ。
商人だったようじゃ。
慈悲深いものであったのじゃ。
教師であったようじゃ。
医者だったようじゃ。
>>84 祈りは特に効力は無いのじゃ。
訪問したりすると皆喜ぶのじゃ。
外国の人も会うと慶ぶのじゃ。
それで役に立っているのじゃ。
>>85
で、中有と地獄は同じ?別?
分からないのなら素直に分からないで構わないのですよ?
ただ、もう少し仏教の基礎知識や体験はしておきなさい。 >>86
>町の娘じゃな。
>商人だったようじゃ。
>教師であったようじゃ。
>医者だったようじゃ。
それぞれの時代も教えて下さい。江戸時代とか明治時代とか・・・。 鬼和尚、私は退職して一人暮らしです。
田舎で家や庭や田畑の管理をしています。
最近は暑いので、この2・3日は家で休んでいます。
知人や友人たちは、まだ働いています。彼らはお金には困っていません。
人間は動けるうちは働くよう(お金もうけ)な本能があるのでしょうか? 222 名前:マジレスさん :2018/07/21(土) 18:51:10.66 ID:efN/DF80
自作自演なら誰も困らん
自問自答なら誰も惑わされん
あろうがなかろうがどっちでも良い >>87 おぬしに他人と会話する意志もなければ能力も無いようじゃのう。
会話とは相互に相手の話に反論などを行って成立するものじゃ。
他人の話を聞かずに自分の言葉だけを繰り返すのは、幼児と白痴とおぬし以外にしらんのじゃ。
これが真のお釈迦様の教えなのじゃ。
1.いつわりを語る人は地獄におちる。
またこの世で自分が言ったのとは異なった行ないをなす人も地獄におちる。
この両者は死後にひとしくなると説かれている。
来世ではともに下劣な業をもった人々なのであるから。
2.人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。
ひとは悪口を語って、その斧によって自分自身を斬るのである。
おぬしは平気で嘘を書いたり、悪口を書いたりしているがそれは仏教徒ではないのじゃ。
わしが他人に聞かれたらおぬしは仏教徒ではない、仏教について何も知らない者じゃ、というじゃろう。
真のお釈迦様の教えをわしから学ぶと良いのじゃ。 >>88 着物の時代じゃな。
同じ時代じゃな。
洋服を着ているのじゃ。
白衣を着ているのじゃ。
>>89 金儲けの欲が在るからじゃろう。
今よりもより多くの金が欲しいのじゃ。
それもまた不安や恐れからの逃避になっているのじゃろう。 >>91
くだらない言い訳や話を拡散させるのは止めなさい。
で、中有と地獄は 同じ? 別?
私は貴方の勘違いを指摘したんですよ?
中有と地獄は別でしょ?
何故過ちを素直に認めないのですか?
私にだって勿論過ちはありますし、その都度過ちを正して更なる精進をしているんです。
悟りを騙り僧侶を騙り・・・ 恥を知りなさい。 >>93
中有の定義がちがうんじゃないですかね?
人それぞれに。
いつまでも生まれ変わらず、彷徨うのを地獄とするのも、わかる気がします。
変われないって、苦しいものですから。 >>94
まさかw
輪廻転生説を立てるとすれば、四有以外にどうすれば中有の見解に差が生じる得るのですか? >>94
ちょっと日本語が乱れていて、意味がとりにくいです。
もう一度わかりやすくお願いします。 >>94
> いつまでも生まれ変わらず、彷徨うのを地獄とするのも、わかる気がします。
> 変われないって、苦しいものですから。
それは地獄であって中有ではないでしょ?
違うと仰るのならその根拠を提示願います。
(唯識や倶舎論での)中有説では、確かその中有の期間は究竟色天にあったかと思います。
そして、種子という存在の可能性を産み出す存在みたいなものであって、いわゆる意識というものはありません。
したがって「彷徨うという認識」も無ければ「変われない苦しみ」もないのです。 >>97
意識が「ある」という解釈なんじゃないですか?
鬼氏は。
出発点の解釈がちがければ、そこから枝分かれする解釈もまたちがいます。
結局単に解釈がちがうという話にしかならないのですから、そう好んで鬼氏と争う事はありません。 糞凡愚さんは、もういい加減に屁理屈は止めてください。 >>98
争いというのは貴方の勝手な解釈ですね。
鬼氏の信教の自由を侵す積りはありませんから。
しかし、仏教の看板を掲げているんですから、誤まった思想は糺すのは一仏教徒として同じなだけです。
輪廻転生説を肯定するなら、通説は業識(倶舎論)や阿頼耶識(唯識)がその輪廻転生の(仮設された)主体ですから。
意識とは表層意識ですから、生存する個体に仮設されたものです。それ(常・一・主・宰の我)の輪廻転生を認めると仏教ではありません。
なお、ここでの死とは阿頼耶識が肉体の認識をしなくなって時と解釈しています。 明らかな矛盾、支離滅裂な展開ですねw
> 輪廻するものがないのに中有などというものが
> ある筈は無いのじゃ。
> 悪人は生まれかわらず長く地獄に居るのじゃ。
> 特に意志がなければ普通と同じ位で生まれかわ
> るのじゃ。
> 肉身には死によって苦の停止となる終わりが
> 在るが、意識には終わりは無いのじゃ。 >>98
> 出発点の解釈がちがければ、そこから枝分かれ
> する解釈もまたちがいます。
ここが肝心要めで大きな問題ではありませんか?
つまり、根本的に間違ってるから更に枝葉で明後日の方向に向かうのです。
地獄も中有も、とどのつまり心が展開したもので空性です。「ある」という解釈からして既に外道の説に堕ちているんです。 >>100
亡くなってから生まれ変わるまでの期間に意識がある説ない説、どちらも信教の自由だと思います。
私個人は鬼氏の信教も凡愚氏の信教も、殊更否定する気はありません。
あえて私的な感情を述べれば、こういったあまりに感覚的な、不確かな題材で、ご論闘なさらないほうが良いのでは?
あまりに関係のない雑談も、それはそれで問題ですが。 >>104
>あえて私的な感情を述べれば、こういったあまりに感覚的な、不確かな題材で、ご論闘なさらないほうが良いのでは?
それはおかしくないですか?
仏教の看板を掲げているんですから。
あなたの私的な感情よりも、その問題に対して仏教がどの様なスタンスを取っているのか正しく伝える事が大事と思います。 輪廻する主体はないけど輪廻はあるというお釈迦様の仰った理論についてわかりやすく教えてください。
欲望が輪廻するというのはイメージ的に何となくわかるのです。
それらだけがあり主体が幻想というなら、死を超える主体も居ないので、死を超えることも無意味になりませんか? 労働になんの意義も楽しみも見出せないので、金はないけど働きたくない。
生活に必要な額だけ稼いで、あとは仕事をしない。
金もなるべく使わない生活。金が無くなったら、期間限定で仕事をする。
基本は持たない、求めない。
無料で楽しめたり、タダでもらえるもので生活する。
好きな時間に起きて、思いっきり好きなことだけをする。
そんな生き方でも生活できるのなら全然かまいませんか?
修行僧っぽいし、かえって瞑想などを習慣にしたら捗るような気がするのですが。
しかし、金もないくせに働かない人は世間から良く思われません。
経済に貢献してないとかダメ人間とか酷い言われようです。
やっぱり働く人間の方が人として正しいんでしょうか? >>105
感覚的なと、あえてオブラートに包んだ表現をしましたが、ハッキリ言えばオカルト的なのです。
現代社会でオカルトがどのように扱われるかは、言うまでもないでしょう。
あまりオカルオで盛り上がらないほうがと、諌めた次第です。
ましてやオカルトで論闘など。 憲法九条さえ守っていれば他国から侵略されることは絶対にないという考えは正しいですか?
自分が通っていた公立学校では憲法九条を熱烈に支持する人間が多く
九条さえあれば戦争は起きないのだから日本は非武装中立になるべきだ、と訴える人さえいました。
同調を求められることもあったので、
自分は侵略戦争は反対だが九条さえあれば戦争は絶対に起きないという考えは危険では?と答えると
お前は戦争主義者だと周囲から袋叩きにあいました。
かつて永世中立国だったベルギーがドイツから軍事侵攻を受けたことを見てもそれが正しいのか疑問なんです。 >>108
仏教スレでスタンダードな説を紹介するのがカルトですか? >>110
カルトとオカルトは違いますよ。
カルトは狂信。
オカルトは超自然現象。
仏教には超自然現象の側面もありますが、それが中心ではないので、殊更強調するのは控えるべきです。 >>111
地獄と中有は同じか?別か?
それを確認する作業が何故オカルトなのか、詳しく説明して頂けますか? >>112
自然現象は基本的に誰でも目にしうる物事を云います。
また理論的に説明のつくもの。
しかし亡くなって生まれ変わるまでのあいだは、それらと対極にあるので、超自然現象です。
超自然現象は絶対に語ってはいけないものじゃないですが、そればかりくどく話すのは社会常識(自然現象)に照らし、お控え下さい。 >>113
>社会常識(自然現象)に照らし、お控え下さい。
横スレですが、(糞凡愚氏の味方をする訳ではありませんが)それはおかしいですね。
日本では仏教徒にとっては四十九日の法事などは大切な行事です。仏教徒にとっては
社会常識でもあり、決してオカルトではありません。
それをオカルトと呼ぶなら、葬式にお坊さんを呼ぶこと自体やめた方がよいでしょう。 >>113
意味不明ですね。
そもそも、あなたになんの権限があって議論をひかえろと言ってくるのですか?
また、自然現象の定義がおかしい様に伺えますが、それについてはここでは論じません。
第一、形而上学上の問題を何故超自然現象の問題と判ずるのですか? >>114
行事として執り行いはしても、四十九日のあいだ意識はあるのか否やなどを延々と語るお坊さんなど、見た事ないですよ。
行事 = 普通
そればかり話す = 非常識
このように理解し分けてはいかがでしょう。 >>113
また、何故超自然現象=オカルトではありませんよね? >>117
訂正
超自然現象=オカルトではありませんよね? >>116
>行事として執り行いはしても、
行事として執り行うということは、その根拠を受け入れているということです。
ですから、その根拠をについて語ることは何の矛盾もありません。
その根拠をオカルトだと思う人は法事自体もすべきではありません。 >>119
「受け容れている」の定義にもよりますが、いずれにせよ根掘り葉掘り語る僧を、見ません。
オカルト自体が別に悪いわけじゃなく、しかし超自然的なのは認め、
社会と乖離しないためにもくどく語りはしない。
こう在ってはどうでしょうと、問わせて頂いた次第です。
凡愚氏含めお二人とも、「オカルト」と「くどく語る」を、ごちゃ混ぜにし易いようですね。 >>120
>根掘り葉掘り語る僧を、見ません。
それはほとんどの僧侶が葬式坊主で、何の霊的体験も持っていないということですね。
「語らない」のではなくて「語れない」のですね。
幽界や霊界については神道系の霊能者の方が詳しいです。
悟りは幽界も霊界を超越した世界ですが、悟っていない人の意識は間違いなく現界、幽界、霊界を
行き来しています。(見えない人はオカルトだと思うようですが。) >>93 それについては既におぬしは根拠を提示できずに論破されているのじゃ。
それをおぬしが受け容れなければ会話というものは進まないのじゃ。
それではそもそもその中有とは何じゃ? おぬしはそれを見たことが在るのかのう?
どのような色をしているのじゃ? どこにあるのじゃ? どれぐらいの広さなのじゃ?
中有について何一つ知らないのに同異について語るのはそれこそ詐欺なのじゃ。
これが真のお釈迦様の教えなのじゃ。
1.いつわりを語る人は地獄におちる。
またこの世で自分が言ったのとは異なった行ないをなす人も地獄におちる。
この両者は死後にひとしくなると説かれている。
来世ではともに下劣な業をもった人々なのであるから。
2.人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。
ひとは悪口を語って、その斧によって自分自身を斬るのである。
おぬしは平気で嘘を書いたり、悪口を書いたりしているがそれは仏教徒ではないのじゃ。
わしが他人に聞かれたらおぬしは仏教徒ではない、仏教について何も知らない者じゃ、というじゃろう。
真のお釈迦様の教えをわしから学ぶと良いのじゃ。
>>107 構わないのじゃ。
働きすぎて死んだりするのが過ちなのじゃ。
死んだ後に裁判をしても命は帰らないのじゃ。
少しの金でも生きて修業する法がよいのじゃ。 >>109 正しくないのじゃ。
攻められることは在るじゃろう。
絶対ではないのじゃ。
>>121
語られる事が殆どないのは事実とお認めなのですね。
最初申し上げた「語られない = 社会常識」から、一歩も進みませんでした。
迷妄の異界に囚われるのが覚りなのではなく、たとえば中道などのほうが大事です。
今回の例で言えば、オカルトとオカルトをくどく語るのが全くちがう事なのを、的確に認識する。
中道から離れると、何事も本筋を外れ、ごちゃ混ぜにし易くなります。 >>120
で、
地獄、中有と違いを論ずる事とどう関係あるのですか?
また、あなたは何の権限があって議論を控えろというのですか?
返事を頂いてませんが? >>122
だから、同じ?別?
何度も言いますが、もう少し仏教についての基礎知識や体験を積んでからものを申されたらどうですか?
話になりませんね。 >>120
IDがコロコロ変わるので分かりにくいです。
仮で構わないからコテはんをつける気はありませんか? >>129
鬼和尚とか、ラジシーニとかというペテン師の猿真似なんだろうね。
仏教の知識は市販の入門書を読んだ程度のレベル。
体験は三昧に触れた程度のレベル。
全然浅い。
この手のタイプは瞑想の真似事をして、ちょっとした変性意識に触れたレベルの輩によく居る。 >>129
彼此三十年坐禅してきたけど、観察で見性した方なんて聞いた事がない。
三昧・禅定が破れてというか、文字が潰れてというか、ありのままが現前してというか皆さんそんな感じでしたし。
鬼和尚が見性していないのは確か。
そんな奴の言葉は信用してしない。 >>129
(禅)仏教では鬼和尚みたいな奴を「野狐」という。 >>122
なんの冗談ですかw
あなたは懇切に根拠を明示しても一切過ちを認めないでしょ?
経を示せば経がおかしいといい、論を示せば論がおかしいといい、学会でも定説とされてる論文を示しても、やれ、中村元が間違ってる、長尾雅人が間違っているという始末。
そもそも、あなた自身の知識や体験不足に起因する過ちに過ぎないのに。
薬かなんかで変性意識を体験したんでしょ?
それ、唯の妄想だから。
仏教舐めんな。 >>113
ではどこが意味不明なのかを、わかりやすくお願いします。
あと何度も言いますが、そればかりくどく話すのを諫めています。
これは凡愚氏も>>114氏もピントがズレていますが、オカルトが単体で悪いとは申していません。
ただオカルトが「くどく話す」と結びつくと、それは今の社会から乖離しますよと、諫めたわけです。 >>136
で、以下よろしく。
1.地獄と中有の違いを仏教的な観点から論ずる事が、オカルトとどう関係あるのか?
2.何の権限があって議論を控えろというのか?
3.形而上学上の問題を何故超自然現象の問題と判ずるのですか?
また、IDがコロコロ変わるので分かりにくいです。
仮で構わないからコテはんをつける気はありませんか? >>127 又瞬殺じゃな。
わしの質問に一つも答えられないのでは幼児も同然じゃな。
これが真のお釈迦様の教えなのじゃ。
1.いつわりを語る人は地獄におちる。
またこの世で自分が言ったのとは異なった行ないをなす人も地獄におちる。
この両者は死後にひとしくなると説かれている。
来世ではともに下劣な業をもった人々なのであるから。
2.人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。
ひとは悪口を語って、その斧によって自分自身を斬るのである。
おぬしは平気で嘘を書いたり、悪口を書いたりしているがそれは仏教徒ではないのじゃ。
わしが他人に聞かれたらおぬしは仏教徒ではない、仏教について何も知らない者じゃ、というじゃろう。
真のお釈迦様の教えをわしから学ぶと良いのじゃ。
>>138
同じか違うかの質問に答えられないのはあなたでしょ?
ともあれ、もう少し仏教についての基礎知識や体験を積みましょうよ? >>138
で、何で仏教僧でないのに和尚と詐称するのですか? 鬼和尚さんは、今日も仕事でしたか?
暑くて大変ですね。お疲れさまでした。
1日、何時間ぐらい仕事をするのですか? どうして田舎は排他的で閉鎖的なところが多いんでしょうか?
他所者を受け入れない、新しい習慣を嫌がる、監視が厳しい。
自然は美しいのに、住んでる人間の心が醜いのが不思議です。
一体、どう言う原理なんでしょうか? >>142
田舎の人の視野が狭いからじゃ。
田舎の人の多くが、そこで生まれ、そこで育って、そこで生活しているのじゃ。
だから、閉鎖的で人間も狭いのじゃ。
もし、田舎の人が都会などで何年か暮らしたなら、視野も広くなるし開放的にも
なるじゃろう。
わしも田舎に住んでいて、田舎者の狭さをよく感じたものじゃ。
今は慣れてしまって、田舎の人に合わせるようにしたのじゃ。 >>139 完全に詰んだ瞬殺坊やじゃな。
わしは中有などという言葉は使っていないのじゃ。
おぬしがわしへのレスに勝手に使ったのであるから、先ずはそれが何であるのかおぬしが説明すべきなのじゃ。
これが真のお釈迦様の教えなのじゃ。
1.いつわりを語る人は地獄におちる。
またこの世で自分が言ったのとは異なった行ないをなす人も地獄におちる。
この両者は死後にひとしくなると説かれている。
来世ではともに下劣な業をもった人々なのであるから。
2.人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。
ひとは悪口を語って、その斧によって自分自身を斬るのである。
おぬしは平気で嘘を書いたり、悪口を書いたりしているがそれは仏教徒ではないのじゃ。
わしが他人に聞かれたらおぬしは仏教徒ではない、仏教について何も知らない者じゃ、というじゃろう。
真のお釈迦様の教えをわしから学ぶと良いのじゃ。
>>141 そうじゃ、仕事なのじゃ。
ありがとうなのじゃ。
八時間ぐらいじゃな。
>>142 迷信が残っているからなのじゃ。
都会ではなくなった迷信が本気で信じられているのじゃ。
その迷信の多くは恐れから起きているのじゃ。
自然災害への恐れなのじゃ。
迷信をもとにしたいろいろと細かく微妙なしきたりがあるのじゃ。
よそから来た者にはその微妙なことがわからないから怒って排他的になるのじゃ。 >>144
いや、だから、地獄と中有は同じか別かと尋ねているんですよ?
で、知らない・分からないのなら、それでもいいのです。
貴方はもう少し仏教について基礎的な知識や体験を積みなさい。
以下参考まで。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
146 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/03/02(金) 19:38:28.62 ID:PW6azkAM
>>139 おぬしも本当は知っているのじゃ。
特に新しいものにはならないのじゃ。忘れているだけなのじゃ。
そこは中有だからじゃ。
死んだ後しばらくそこにいるのじゃ。
報いは生まれる時に出るものじゃ。
死んだのがわからなかったり、いろいろなのじゃ。
おぬしも自分が生まれる前にどこにいたとか、遡って観ると良かろう。
いろいろ思い出すじゃろう。 鬼和尚、わたしは就労経験が乏しく、履歴書に書くことが無すぎるため少しずつ盛って書いているのですが、これも「偽りを語る」にあたり地獄へ行くことになりますか? >>142
理解済みの安定性重視
ま
誰もが怖がりだ >>147
なりませんよ。
俺なんか履歴書にありのままを書いたことなどほとんどない。
ある会社でアルバイトをしていた時は年齢を6歳ぐらいごまかしていて、
確定申告の時にばれてしまったが、特に問題にもされず、その後数年間
そこで働いたことがある。他人を不幸にしない嘘は「世渡りの潤滑剤」
にもなるので罪ではありません。 鬼和尚さん、今日も8時間働いたのですか?
外仕事だから大変です。お疲れさまでした。 鬼和尚、仕事場の仲間には、自分が悟ってるということを言ってるんですか? >>146 おぬしの書いた中有とわしの説く中有が同じとは限らないのじゃ。
特におぬしは嘘を書き、仏教について基礎的な知識や体験が無い者であるからのう。
それをなかありとか思っているのかもしれん。
これが真のお釈迦様の教えなのじゃ。
1.いつわりを語る人は地獄におちる。
またこの世で自分が言ったのとは異なった行ないをなす人も地獄におちる。
この両者は死後にひとしくなると説かれている。
来世ではともに下劣な業をもった人々なのであるから。
2.人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。
ひとは悪口を語って、その斧によって自分自身を斬るのである。
おぬしは平気で嘘を書いたり、悪口を書いたりしているがそれは仏教徒ではないのじゃ。
わしが他人に聞かれたらおぬしは仏教徒ではない、仏教について何も知らない者じゃ、というじゃろう。
真のお釈迦様の教えをわしから学ぶと良いのじゃ。
>>147 社会での調節的な機能をもつものならば構わないのじゃ。
他人が苦しむわけではないからのう。
それまで禁じるならば昼間におはようとか言うのも嘘になってしまうのじゃ。
妬みや僻みで真の安楽への教えを否定するような嘘は地獄行きといえるのじゃ。
>>150 日々仕事なのじゃ。
おぬしもご苦労さんなのじゃ。
お疲れなのじゃ。
>>151 言っていないのじゃ。
朝一度ぐらいしか会わないのじゃ。 >>152
で、中有と地獄は同じ?別?
何度も言うけど、知らない・分からないのなら、それでもいいのです。
貴方はもう少し仏教について基礎的な知識や体験を積みなさい。
話になりませんから。 >>147
あなたの履歴書を信じて採用を検討される方の立場も考えましょうよ。
それと、面接される方の経験にもよりますが、何千人もの方を面接をすると嘘は大体分かりますけどね。 鬼和尚さん、兄弟はいるのですか?
一人っ子ですか。 >>137
凡愚氏はカルトの言葉の意味も知らなかったのに表れるとおり、
聞きかじっただけの意味を知らない言葉を、そのまま使わない事です。
「何の権限があって」という箇所が、今回それにあたります。
話に全く関係ないので、諫められた内容に関してのみ、反論すればいいのです。
中有が超自然現象なのは、既に>>113に書かれてますよ。
自然現象だと云うなら、物理の授業でそれを習いますか?
また科学的に証明されていますか?
習いも証明もされていないので、「今の社会では」それは超自然現象と言わざるをえません。
ちがうと仰るのなら、理論的に説明すればよいのです。
それがここまで一レスも為せないのは、凡愚氏ご自身、中有を超自然現象と証明してしまったんですよ。 >>156
で、以下よろしく。
1.地獄と中有の違いを仏教的な観点から論ずる事が、オカルトとどう関係あるのか?
2.何の権限があって議論を控えろというのか?
3.形而上学上の問題を何故超自然現象の問題と判ずるのですか? >>156
先ず、コテを付けてください!
貴方は考え方が斜め上でおかしいし、理解力に乏しいので補足しておきます。
私は超常現象そのものについて論じているのではありません。
「地獄」と「中有」という、仏教にて使用される術語について、その意味されるところの違いを論じているのです。
言葉の使用法について論じる事のどこがオカルトなのですか?
だから、
1.地獄と中有の違いを仏教的な観点から論ずる事が、オカルトとどう関係あるのか?
と言ってるんです。
鬼和尚もそうですが、このような低次元の話でレスをするものいちいち面倒なんですが?
いい加減にしてくれませんか? >>156(その3)
例えていうのなら「幽霊」と「妖怪」について同じか違うかを論じるのと同じです。
その言葉の意味するところの同異を論じる事のどこがオカルトなんですか?
本当に馬鹿々々しいというか、次元が低くて失笑もんですねw >>156(その4)
もう一つ例えていうのなら「風神」と「雷神」について同じか違うかを論じるのと同じです。
その言葉の意味するところの同異を論じる事のどこがオカルトなんですか?
本当に馬鹿々々しいというか、ロジカルな考察力の次元があまりにも低くて失笑もんですねw 斜め上視線で考える者には、おそらく、言語学も文学も哲学も宗教学も、超自然現象に分類されるんだろうな。
基本的教養さえ身に着けてないんだから、話にならないな、こりゃw 鬼和尚、依存症について質問です。
戦争時兵士が薬をやっていて、
本国に変えるとなぜか依存症にもならず辞められてしまったという話を耳にしました。
都市伝説でしょうか、それともこれは事実でしょうか。
事実であれば、彼らはいったい何が違うのでしょうか。 >>157-161
「斜め上」などという、またよく知らない言葉を使うものではありません。
ちゃんと理解している言葉を使いましょう。
またお解かりでないですが、超常現象も論じるのも、それ自体は悪くありません。
「くどく」論じるのを諫めた次第です。
今回の話に於けるこの主旨を、凡愚氏(ついでに>>114氏)どうあっても理解しないのは、都合が悪いからでしょうか? >>163
1.
>>157等一連の質問に対しては最終的に無答ですね。
もう結構ですからw
2.
> 「斜め上」などという、またよく知らない言葉を使うものではありません。
> ちゃんと理解している言葉を使いましょう。
根拠の提示がない以上、あなたの妄言です。
もう結構ですからw
3.
> またお解かりでないですが、超常現象も論じるのも、それ自体は悪くありません。
私が何時悪いと主張したか根拠の提示がありませんね。
もう結構ですからw
4.
> 「くどく」論じるのを諫めた次第です。
相手から結論が出されないからでしょ?
w
話になりませんねw 自給自足やオーガニックやエコロジーにやたらとこだわった生活をする人が一定数いますが
彼らもまた「ナチュラル」と言う思想に囚われている、と言えますか?
実は資本主義や経済合理主義を掲げた企業や人間と本質的には変わらなかったりするんでしょうか。
また、環境に優しい生活は善なのでしょうか?
地球に対する慈悲だと言えますか? >>153 あいかわらずあうあうあーのジャンキーじゃな。
わしの話がわからないふりをする位ならば初めからそう書いておけばよいのじゃ。
中有の定義や根拠等は本来簡単に提示できるであろうが、もはやわしにしめられ、瞬殺され、論破されるのが怖くてそれさえも出来ないのじゃな。
おぬしは何か勘違いしているようであるが、他人が提示した根拠について検証するのは当然なのじゃ。
特におぬしは嘘を書き、何の関係もないものを根拠として提示する者であるからのう。
真実を追求するにはそれも必要な過程なのじゃ。
おぬしの頭の中にだけある中有とは何なのか、何を中有と思っているのかちゃんと書いてみるのじゃ。
これが真のお釈迦様の教えなのじゃ。
1.いつわりを語る人は地獄におちる。
またこの世で自分が言ったのとは異なった行ないをなす人も地獄におちる。
この両者は死後にひとしくなると説かれている。
来世ではともに下劣な業をもった人々なのであるから。
2.人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。
ひとは悪口を語って、その斧によって自分自身を斬るのである。
おぬしは平気で嘘を書いたり、悪口を書いたりしているがそれは仏教徒ではないのじゃ。
わしが他人に聞かれたらおぬしは仏教徒ではない、仏教について何も知らない者じゃ、というじゃろう。
真のお釈迦様の教えをわしから学ぶと良いのじゃ。
>>155 いないのじゃ。
一人なのじゃ。
>>162 それもあるじゃろう。
戦場では死の恐れから依存していたが、死の恐れが無くなって依存もなくなったのじゃろう。
原因がなくなれば依存もなくなるのじゃ。
依存とは心に原因があると医学でもわかっているのじゃ。
心の中の原因こそ依存を起こすものなのじゃ。
それを探すのじゃ。 >>165 そう言えるじゃろう。
変らないのじゃ。
特に善ではないのじゃ。
それも自分達が住みよい環境にすることが目的であるからのう。
自分達の利益を求めているだけと言えるのじゃ。 >>167 〆瞬殺じゃな。
もはや論議にも参加できないのじゃな。
おぬしの頭の中にだけある中有とは何なのか、何を中有と思っているのかちゃんと書いてみるのじゃ。
これが真のお釈迦様の教えなのじゃ。
1.いつわりを語る人は地獄におちる。
またこの世で自分が言ったのとは異なった行ないをなす人も地獄におちる。
この両者は死後にひとしくなると説かれている。
来世ではともに下劣な業をもった人々なのであるから。
2.人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。
ひとは悪口を語って、その斧によって自分自身を斬るのである。
おぬしは平気で嘘を書いたり、悪口を書いたりしているがそれは仏教徒ではないのじゃ。
わしが他人に聞かれたらおぬしは仏教徒ではない、仏教について何も知らない者じゃ、というじゃろう。
真のお釈迦様の教えをわしから学ぶと良いのじゃ。 >>166
> 心の中の原因こそ依存を起こすものなのじゃ。
は?
アルコール依存症は一度なると脳に依存回路で出来て、その回路は一生消えないというのが現代医学の見解であり、あたかも、仏教で説く阿頼耶識の種子が如くです。
そして、現象は本来、因と縁で起きるものであり、因だけではおきませんし、一度生じた因は、種子として阿頼耶識に(可能性として)蔵されます。
したがって、心の中の原因がわかっただけで依存症は治りません。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています