今じゃ考えられない昭和の生活◆87
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ちょっと前のことなのに、今じゃ考えられないことをしてた・・・みたいなことありますよね。
都会だけど鍵を開けたまま寝てた、とか。
若い人には信じられない、古い人にもそうだったなぁ・・・と思わせるような事。
そういう事実を書いてください!
基本的に、特に皆さんがよくご存知の昭和に限定させていただきます。
マタ〜リと参りましょう。
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【前スレ】
今じゃ考えられない昭和の生活◆86
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1521139754/ 平成以降の技術は昭和の延長線上に無いものが多くなった。エジソン以来の電球からLED、内燃機関からEV。。 テレビ創成期からのテレビ修理工一筋で、テレビを熟知していた80代後半の元技術者に最新の液晶テレビ納品する機会があったが、多くの機能も最新の機構も全く理解出来ず。 リモコンも時間を掛けて電源とチャンネル選択をゆっくりと震える手で時間を掛けて行うのが精一杯。これをみて、昭和の技術は継承されなかったことを再認識させられ暗澹たる気持ちに。。 昔は電気屋も、律儀に直していたものだったが、機器の複雑化のためか、すぐに買い換えた方がいいですよ、と言うように、なったと思った。 電気自動車も昭和からあるんだよなあ
電池がネックで商業的に成功しなかっただけで >>425
よく考えると、それは電気製品だけじゃないんだけどね。
たとえば、セーターの編み直しとか、昔は主婦がよくやっていたものだ 戦前から昭和30年代くらいにかけての10代女子は、皆中原淳一ブランドの服を着てた。
ショップがあったわけじゃなくて、デザイン画や型紙が公開されてて、「好きな色や好きな布地を使ったり
デザインを組み合わせてアレンジしたり、古着をほどいて染め直してリフォームしたりしませう」というスタンス。
お母さん方が作るだけじゃなくて、洋裁が出来る人や女学生のお姉様に謝礼と布地とデザイン画を携えて
お願いしたりとか。
原爆で爆死した女の子達も、写真で見たらみんな中原淳一デザインのお洋服や帽子を身にまとっておられる。 >>430
ある年代まで、洋裁って子を持つ母の必須科目だったよな。きょうだいで母親手作りのお揃いの服を着てたりとか。
子供がいないので今の子供の様子は分からんが、手作り服を学校とか友達と遊びに行くときとかに着てたら
「変な服」とか言われていじめのターゲットになったりするんだろうか? 以前は自分で作るのがずっと安上がりだったからなあ。
オーダーメイド>既製服>手造り服だ。
今は、既製服は安過ぎる位、だから手造り服って着ていくのは良さそうに思えるよ。 ちなみに、男児の服は昭和30年代までセーター以外は既製品。
既製品といっても、学生服やワイシャツやそのお下がりだけどね。
下手すりゃランニングシャツさえお下がり。 昔はみんな洋裁出来たみたいだね
高校(女学校)進学率が低かった時代は裁縫学校が今の高校代わりだったり >>434
戦死率が上がって未婚だったり、夫が戦死したり行方不明になったりしても困らないように洋裁を習って
代金を受け取って服を仕立てたのです。
軍需工場で軍服や落下傘を縫ったり。 >>435
間違いではないにしろ、3レス全部かなり偏向したこと、書いてるね >>435
戦争はあまり関係ないでしょ
他の人も書いてるけど、昔は今ほど、安価で良質な既製品衣料がなかった。
女は、結婚するならひととおりの家事は身につけていた、もしくは身につけるよう
もとめられた。そのひとつが洋裁や手芸だったわけで。
ちょっとした子供服やセーターなどは母親が作ってた。
でもそういうことが苦手な女性もいた。
そういう人は既製品を買ったり、洋裁の得意な人にたのんだりしてた。
編み物も、今みたいな趣味の手編みというより、機械編みでセーターやカーディガンを編んでる主婦が結構いた。
街に「編み物教室」の看板などよく見かけた。
当時はブラザー編み機とか、今は別の製品で有名。 寅さんの妹さくらも内職で洋裁をやっている設定だったな。「出来た服を手放すのは
名残惜しい」みたいなセリフもある。
まあそれにしても趣味の店、なーんていう看板を見るとプラモデル店?と思いきや
手芸店だったりする事がまれによくあるが、見ると、いつも客がいなくて逆に心配に
なるね。それは個人店ではなく、立派なショッピングセンターのテナント。ほら、宝石店
ならガラガラでも客単価が高いからアレだけど手芸店じゃねえ。
まあ今時の主婦はミシンどころか裁縫道具すらないんでしょうなぁ。それなのにユニクロ
でシャツ買っても予備のボタンとかついてるけど、あれは自分で直すんじゃなくて、洋服
のお医者さんとかに持っていくためなんでしょうなぁ。 うちの嫁さん、結婚する時にミシン持ってきたぞ。
もう十年以上前の話だけど。
母親(俺からすると義母)が手芸とかの先生やってたんで、母親譲りの品らしい。
嫁さんがミシン使ってるの、見た事ないけどね。 今45のオッサンだが、小学校の入学式に着た服は母親の手造りのスーツ(でも半ズボン)だったな。
妹の小学校の修学旅行に着ていったワンピースも母親の手造り。
今はファッション雑誌になった装苑も昔は既製品の服は載ってなくて後ろの方のページに型紙が付いてたな。 >>438
鬼女板へ行くと主婦の間では
洋裁とまでは行かんが、ハンクラが大流行だぞ >>421
「あなたは」、だろ
>>438
偏見入り過ぎ
リフォーム店にボタン付けなんて持ち込んだら
いくら取られると思ってんだ >>423
内燃機関からエレベーターってのがわかりません >>441
手芸から車のトランスミッションというのがわかりません。 後期高齢者に突入したうちのオカンはどっちかというとガリ勉タイプで針関係は嫌いだったらしい
高校の家庭科の宿題を姉にやらせて代わりに姉の英語の宿題を請け負ったぐらいだとか
しかしそんなオカンも結婚するときに一応ミシンを持参した
昔は女子が就職するとミシン屋さんとか電気屋さんにお給料から毎月いくらかづつ積み立てて、
お嫁入りするときにミシンとか電化製品を納めてもらうというのがあったそうで、それでミシンと冷蔵庫を用意したんだって
しかしオカンがミシンを使ってるところはほとんど見たことがなかった
このように、縫物が嫌いでもミシンは嫁入り道具の必須品だったのだろう
今は手芸でも裁縫道具を使わないものが流行ってるし、やらない人や出来ない人はミシンを持たなくてもよくなったのだ それもあって、町のミシン屋というのはそれなりの取り立て機能を持つ金融業だったらしい。
今でもその名残で怪しい商売の仕方をしてるところもあるとか。 現代では家事手伝いは単なるプーだけど昔の家事手伝いは花嫁修行で料理洋裁着付けお花とか習ってたんだよね >>442
ボタンつけなんて、教えられたら5歳児だって出来るわ。
ついでにコンセントの修理だって教えられたら出来る。 服で思い出すのは、お下がりで女物のシャツを着ていたこと
ボタンが左に付いているから「変だなー」と思いながら外出していた
あと親戚がやたら多かったので、玩具のお下がりは多かった
お下がりのタイガーマスクジムや鉄道で数日遊ばなかっただけで、もう別の親戚宅に消えてる >>454
コンセントプラグやらの、通電していない状態での修理なら全く無資格ド素人の保母さんにだって出来るから、
5歳児はそれ見て覚えたりすることもあったの。
(昭和40年代半ば頃のお話)
ちなみに、今真横を見たら、サンヨー製の「発火の危険があるから使用しないで」というお触れが出てるあの
扇風機がある。
しかも、コンセントプラグを市販部品に交換修理した形跡がある。
さすがに人がいるときしか使用しないけどね。
昔は色々アバウトだった。 ヒューズの代わりに針金を使わないで
なんてCMもブレーカーが普及してからは見なくなった 機器側のキャップ(例:WH4415)のことを言っているのでは? ソケットにスイッチついた白熱電灯
柱に添え付けた碍子(白陶器)製のコンセント 50過ぎの俺が生まれたころには建ってた家ですらノーヒューズブレーカーだったもんな。
コンセントとかはハイ角だったけど。
もちろん、友達の家とかで白い陶器製の安全器や天井から袋打ちコードでぶら下がる国民ソケット、
そこからアイロンとかの電源をとっていたりとかは見たことあるよ。 テーブルタップをプラグ、コード、ソケットの三点で組み立てるなんてまさに昭和 戦前に建てられた家に一時期住んでたけど、広いのにコンセントが異常に少なくて困った。
壁のコンセントはベークライトだった記憶がある。
ついでに、ゴム製コンセントプラグの記憶もある。
蛍光灯のスイッチが紐になる前、ぶら下がってる電気ケーブルの先にドングリみたいな形をした手元スイッチがついてたの
覚えてませんか?
あれ、なんて言うんでしょうか。 >>462
そう、それですね。
ガキんちょがコードを持って乱暴にひっこ抜いて断線するたびに父が母が保母が修理して、それを見ていた
年長の子が今度は弟妹が引っこ抜いて断線したのを修理するという。 >>467
…長年の疑問が今氷解しました。
ありがとうございます。 ペンダントスイッチの交換は、それこそ資格のある人にしか出来ないだろうから廃れるのも無理はないだろうなあ。
ガキんちょが無理矢理引っ張って断線とかもあったかも。 埋め込みコンセントやスイッチがフルカラー(昭和50〜 平成10年ごろ)になる前の、プレートが黄色っぽいプレートのやつで、
(1)中のスイッチ、コンセントが細長いタイプ。スイッチはひらべったく突起がない。
(2)さほど細長くなくスイッチに突起(つまみ)がついているタイプ((1)よりは古く見える)
があるけど、どっちがハイ角?もう一方はなんて名前? 電気工事士の資格は過去問やり込みさえすればアホでも取れるから暇な人は取ってみるのも面白いかもね 震災とかで家や仕事がパーになっても食いっぱぐれ無さそうだけど、実技がなぁ。
工具セットも1万円くらいするし、試験は年1回しかないし。 建築、リフォーム系は災害が起こる度に潤うよね。
災害援助た復興支援だ言って税金寄付金垂れ流しだもんな。
リフォーム屋はみんな社員旅行はハワイだよ。 今は建築関係は震災復興やオリンピックがメインで仕事選び放題らしいね
職人のなり手もいないから現役やベテランの取り合いになって単価が上がってきてるみたいだし 蛇口やパッキンの交換みたいな家庭の水回りレベルの水道工事だったらそれこそ女性でも出来るから、
ホームセンターで部品なんか買ったりしてる人もいるし、本職のおっちゃんが「これにしたほうがいいよ」
なんて言ったりしてるそうな。 フローチャート別の修理法というミニパンフも店内にあるので、それを参考にすればいいみたい。 クラシアンとか生活救急車とか最近CMやらなくなったよね
今は部品を安く買ってネットでやり方調べて自分で出来ることはなるべく自分でやる時代だからプロは商売上がったりだな >>483
最近はイースマイルのCMをよく見るぞ。
松下由樹と柴田理恵の出てる奴 家の冷蔵庫、イースマイルだの水道修理屋のマグネットシールだらけw
昭和の冷蔵庫はビックリマンシールが貼られてるのが定番だったのに。 >>486
600V・・・ピカチュウは交流なのか? ユニクロで500円のやつより薄いぺらぺらのTシャツが3000円以上した。
くるぶし丈のクソ短い靴下は3枚一組1980円。 高校生の時に読んだCharles Dickensの大いなる遺産は愛読書 穴のあいた靴下で学校行くのは定番だった。80年代に入って一気にものがあふれる日本になったイメージがある。 >>486
効率は悪いがアンペアを上げて放電させれば、あるいは… バイキングって言葉は定額で食べ放題取り放題だった
今はバイキングでも取れば取るだけ金のかかる油断できない店もある
最近はビュッフェってよく使われるが昔は列車の軽食堂って意味にしか使われなかった(日本では) 珍しく一本裏の通りの空き地で小学生たちが野球やって遊んでるのを見て
今どきのサッシ窓の一枚ガラス割ったら果たして弁償代は幾らになるんだろう?と
家の二重サッシの掃き出し窓見上げて思った
昔の木枠の窓って枠ごとに1枚ずつガラスが分かれて入ってたんだよね? そうそう。
木枠とガラスの縁をパテで埋めて止まっているだけだったね。
ヒビが入るとシールとかテープで補修したり。 佐野元春にハマってた
Happy manは今のJ-POPでも敵わない 紅葉や☆とかの模様の入った曇り(すり?)窓ガラスなんかまるで見なくなったな。 >>502 あったよ。。
たとえば、>>498の >昔の木枠の窓って枠ごとに1枚ずつガラスが分かれて入ってたんだよね?
で、こういう→「田」窓枠があったとして、右下だけ割れて模様入り曇りガラスに入れ替えたりとかw
ソースは俺の実家w 木枠の窓、扉の鍵はクルクル回すタイプの鍵(ネジ締まり錠っていうらしい)
古くなって締めるのにテクを要する場合もあり 木枠の窓ってすきま風当たり前だったよね。冬は寒かったな。 >>387
懐古スレでよく話題になるよね
夏になったら虫かごと網、注射器持ってセミ捕りに行ってたなあ
あと親父と一緒にクワガタとか蝶を採取して標本作ってたわ
今じゃ気持ち悪くて触れませんがw ブラウン管のワイドテレビ
単にシュリンクするだけというお粗末さ
左右が圧縮されたり上下が切れたり、意味不明だった >>507
ワイドテレビって平成入ってからだろ。
4:3の大画面ブームにしたって、平成元年の物品税廃止で、税率の高かった20型超のブラウン管テレビが手頃になったせい。
それまでは、3ナンバー車と同じく、一般家庭荷はまず売れてなかった。
ただの大画面ブームが手詰まりになって安値競争になってしまい、それを打破するために各メーカーがワイドテレビに注力したんだよ。 >>508
あれ、平成だったか
言われてみればそうだって感じ
画王懐かしい 都内郊外だが、夏は時々家の中に大きなカブトムシが迷い込んできた。 電気屋に勤めてたから全てのテレビを比較して見られたがSONYキララバッソの美しさは驚愕だったな 新卒で入社したとき、歓迎会は帝国ホテルのスカイラウンジだった。 5万円もするIH炊飯器やホームベーカリーが発売された時、こんなものを普通の家庭が買うのかと思った。 ホームベーカリーって何時の時代だっけと思って調べたら昭和末期だった
そっかー 一瞬だけこの世の春を味わったフナイ電機
「らくらくバンだ」 最近の群発地震で思い出したが、昔「クイズ100人に聞きました」で「東方沖地震では儲かりました」と言ってた家族がいた 今の地デジやBS放送を4Kテレビで見たらそれは4K画質だと思っとるやつがおるらしい。
地デジも今のBSも4Kどころか完全な2Kにさえなってないことを彼らは知らない。
1440×1080をテレビで横に引っ張って1920×1080のように見せているだけの、
実に荒っぽい画質でしかない。 遂にお母さんが何か凄いオヤツを
買ってくれた。透明な容器に入った
水あめだった 4K始めるのに帯域が足りないっていってBSの解像度落としたんだよな
その言い分が振るってて、「画質は主観評価では違いが判らない品質にした」
じゃあ4Kいらないじゃんみたいな話になるぞと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています