明治人の東北観『仙台までは日本国民、仙台より北は野蛮人』

1876年の天皇巡行の一行
栃木県川西村にて「皆華服美装」
福島県須賀川にて「一様新装、頗美観」
宮城県築館にて「屋舎粗悪、人面亦醜陋」

1880年の佐々木高行の東北巡行の随行員
青森県で茶店の子供を見て「満面鼻汁と鼻垢を塗る殆ど黒人の児」
青森県野辺地にて「自身の姓名年齢又父母妻子の姓名年齢を知ら(ない者さえいる)」

1884年の水野寅次郎(土佐藩出身)
栃木と福島の県境にて「域を異にするの感あり」
青森県にて「盛岡以北人なし、真の国民たる資格を備ふる者なし」
(『東北紀行』)

明治9年の学童の就学率(全国平均38.31%) ※文部省年報
50.00% 群馬県
45.06% 岡山県
20.11% 鹿児島県
18.60% 青森県

明治期の自署率(「6歳以上で自己の姓名を記し得る者」の比率) ※文部省年報
青森県 1881年 男37.39 女2.71 男女計19.94%
群馬県 1880年 男79.13 女23.41 男女計52.00%
岡山県 1887年 男65.64 女42.05 男女計54.38%
鹿児島県 1884年 男33.43 女4.00 男女計18.33%

斉藤泰雄・国立教育政策研究所
江戸末期において、当時の日本はすでに庶民層を含めてかなり厚みをおびた識字人口層をかかえていた。学校教育の普及が低迷していた明治初期20年代半ばまで識字人口層は、江戸末期とあまり変らず、
文部省の自署率調査によれば、識字率は最大で、男子で50〜60%、女子で30%前後であったのではないかと推測される。