>>955
>>956

>>957 ならないのじゃ。
 自分を守ったのであるからのう。
 囚われずに善事を積むとよいのじゃ。

>>958>>959>>960 それはまだ記憶が自分と思っているからなのじゃ。
 記憶が自分ではないと気づけばその恐れと囚われもなくなるのじゃ。
 記憶はただ情報であり、自分ではないのじゃ。
 これから行きていくための道具なのじゃ。
 それをよく観察して見るとよいのじゃ。

>>962 実践するべきことは一つだけなのじゃ。
 おぬしにはかなり辛いことになるがのう。
 その実践を通らなくては生きる意味も無いのじゃ。

 その実践とはただ一つ自分の本心を観ることなのじゃ。
 今ここで自分をどのように思っているのか観察してみるのじゃ。
 それは心に咎を持つおぬしには辛いことになるじゃろう。
 おぬしは今、実は自分を最低の屑女とか思っているかもしれん。
 死んだほうがよいとか思っていて自分を罰しているのかもしれん。
 それを仕様が無いこととして観ないようにしているのかもしれん。
 それら全てを否定も肯定もせずに観察し続けるのじゃ。

 観察を続ければそれらは少しずつ自己同一化がなくなり消えていくのじゃ。
 それが心を整えるということなのじゃ。