平和、と云うモノの価値とは如何にして向上させられるものだろうか
例えば病、と云う不協和音に撚り人は健康、と云う権利を受諾する者なのかも知れない
我我は常に、相応しい方法で相応しい人倫の内で相応しい場所に於いて思考し、思想し、向上し続けなければならない
此の様な事は誤った若しくは、誰かを惑わす為に弄された複雑な嘘で在ろうか?
或いは平和、と云うべきモノの価値とは従前、然程高いモノでは無かったのかも知れない…
然し軽んじないで下さい
もうとっくに気付いて居られるのかも知れません
我我の関係、と云うべき高次の使命を
穆は信じて居ります(笑)
味方に深い犠牲を強いられようとも決して、何者にも戦い自体を厭う権利を得る事にはならない
女性的な健康美と男性的な健康美をイコールにして或る種、幼さ(笑)の内に人ならざる幸福を夢見るとして認められない其の時
其れが何か悪いものを呼び込むんだ、としてもなんら不思議には思われないし傍から同情を誘う事態ではない、とだけは云えます
本当の健康体ならば、挑発には正面から喧嘩で挑める筈だし
一体其処に如何程の蟠りが後に残り得ようか?
此処のスレの他の住人の危ぶまれる卑屈さにはつくづく困惑させられる
此んなものは立ち話程度の事だし
此んなスレに立ち寄る事とは逆に或る種、男の沽券に係わる取り敢えずは相応しからぬ行為ですよ
唯、余程シッカリとした理念により選りすぐられ何度も何度も導かれた様な偉大なる人物に我我が理解出来ぬ不協和音、欠点の一つも在り得ぬ、等とは
穆も考えて居ません
若しかしたら、調子づいた馬鹿が連れて居るだろう不細工女等にさえも嫌われるのが怖いんじゃないのかなあ…
其う云う気配が何処にでも漂って居る
御家族にも幾許かの責任が在る、と云って然るべきじゃないのかなあ
眉を顰められる事にすら事実上恐れを感じなければならない、としたなら
其の時人は、其の己の甘受して来た己を包んで居た平和、と云うべきモノを一体如何考えるのだろう
如何で在りましょうか?
本当は此の様な多くの議論が我我には此れからもきっと必要な筈、と思うが…(笑)