>>400
>「自分」という実体は、じつはこの世界のどこにも存在しなかったのである。
>には至らないのではないでしょうか?

至るのですよ。そのことは「洞察」としてもわかり、また「体験」としてもわかるのです。
なぜなら、自分を見ている自分をさらに見ている者は個人性がなく全存在と一体になった意識
なので、さらにそれを見る者はもう存在しようがないのです。これについてはインドのOSHOも
講和の中でよく話していることです。(宗教体験がなければわかりません。)
宗教体験のない者が頭だけで「観察」を考えると<無限遡求>になると思ってしまうだけなのです。