>>376
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ中村元氏の般若心経の私訳ですが

照見五蘊皆空 度一切苦厄
(しょうけんごおんかいくう どいっさいくやく)
私たち人間という存在は、身と心によって成り立っている。
だから私は、自分とは何かを知るために、この身と心のどこに自分が存在しているのかを確かめようとした。
しかし、物質的な肉体も、視覚・聴覚といった感覚作用も、それを受けとる知覚も、
あるいは意思や認識といったあらゆる精神作用すべて、どれを詳細にみても
「これこそが自分だ」というようなものを見つけることはできなかった。
確固たる自分は、どこにも存在しなかったのだ。
驚いたことに、「自分」という実体は、じつはこの世界のどこにも存在しなかったのである。
その真実を知って私は驚きを隠せなかったが、同時に苦悩から解き放たれるような安らぎを覚えた。
とありますが観察をしていると色々な方面に枝葉が別れて膨大に観察が広ろがっていくと思うのですが...
糞凡愚たんが言われる
>「観察している」と観察している者」の無限遡求です。

中村元氏の私訳、「自分」という実体は、じつはこの世界のどこにも存在しなかったのである。
には至らないのではないでしょうか?