>>355
世界観があり目的があり手段があるならば、快楽の追求は断見に繋がり、苦の追求は常見に繋がるでしょう。

お釈迦様は、王城での快楽に満ちた生活に疑問を感じ出城し、出家をして苦行に身を投じ、さらには苦行を捨てて悟りをひらかれた後に中道を示されました。

道を志すなら既にお釈迦様の示された中道を真っ直ぐに歩めば良いのでは?

捨てられた方法を追体験するのは無駄な事かと。