【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】43
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*悟りを開いた人には偉大な知恵があるらしいわ。
*生活のことなんでも聞いてみましょう。
*あるゆる悩みを聞いてみましょう。
*罵倒、批判だけのレスはスルーよ。
前スレ
相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】42
http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1513680120/ >>1 ご苦労さんなのじゃ。
前スレ985 そうじゃ、集中して雑念が流せるようになれば自然に思考も観察できるようになるのじゃ。
流れていく雑念は思考も入っているからのう。
自分が思考に巻き込まれていると気づいたならば、その思考をとめようとせず流れるままにしていくのじゃ。
思考が流れていくと観察するのじゃ。
そうすればやがて止まるときも来るのじゃ。
思考が流れ、止まっていくことを観察するのじゃ。
>>6 身につかないのじゃ。
漏神通のみが悟って身につくのじゃ。
残りは集中によって悟らなくとも身につくのじゃ。 親の因果が子に報うといいますが
親の業は親の業、子の業は子の業ですよね 旧約聖書の創世記などは、どんな意味があるのでしょうか?
聖書に何か真実はあるのですか? お釈迦様の邪魔をした悪魔マーラは未熟な天人と聞きました。
天国からお釈迦様がいなくなると寂しいので襲ったそうです。
天国では境地に関係なく、善行したものがいっしょくたにされて存在しているのでしょうか 弱い心に飲み込まれないにはなにが必要ですか
外側の状況次第で恐れや怒りが沸きます
それに左右されないほどの強さがないことを実感しています >>7 ありがとうございます。観察ばかりで集中力が足りていないように思うので、必要を感じたら数息観試してみます。
書き込みの後、思考を観察してみましたが、基本的に自分を主体として働き、そうでない場合も一定のパターンで働いていると気づきました。
思考の性質を観察して、その起こる原因などを見ていけばいいのでしょうか? >>12
弱くていいんだよ
恐怖は危険に対するセンサー
今仕事で元暴力団の人と関わっているけど
もしその人を殴ろうとすれば自分の中に恐怖を感じるだろう
それをしなければいい
もしトラブルが起これば元暴力団だから脅されるかもしれないとか想像して恐れる必要もない
そういう状況ではないんだから
怒る事はあるけど怒ってしまえば引きずる必要もない
物事にその都度対応していれば
何も起こってない時にあれこれ考える必要はない 観察観察って、なんかそればかりだけど、止観双修を忘れてないか?
三昧・禅定を修めておかないと観察は勿論、智慧は露わにならないよ? >>7
> 思考が流れていくと観察するのじゃ。
ここなんだよなぁ、違和感を覚えるのは。
心随万境転 心は万境に随って転ず
転処実能幽 転処実に能く幽なり
随流認得性 流れに随って性を認得すれば
無喜亦無憂 喜びもなくまた憂いもなし
(摩拏羅尊者の伝法の偈)
3行目に「流れに随って」ってあるでしょ?
思考が流れてる様をありのままに受け流すのであって、流れていくと観察するんじゃないんだわ。 性格や才能というのは生まれ変わっても大部分を引き継ぐものですか?
また、容姿の良い人というのは前世で何をしたのでしょう?
来世で良い容姿になるためには何をしたら良いでしょうか? >>6 神足通、天耳通、他心通、宿命通、天眼通、漏尽通等の力なのじゃ。
漏尽通以外は集中力で身に付けられるというのじゃ。
>>9 そうじゃ、自分のしたことが報いになるのじゃ。
しかし、親が貧乏であると子も苦しみに遭うじゃろう。
影響はあるのじゃ。
>>10 無意味なのじゃ。
恐れと不安から逃れたい故に書かれた妄想なのじゃ。
妄想に陥れば更に苦しむだけなのじゃ。
>>11 善い事をして天にいった者も驕りによって悪事をするようになる者もいるのじゃ。
誰にも自由な意志が有るからのう。
今ここで行いを選択できるのじゃ。
>>12 不動心が必要なのじゃ。
数息観等の瞑想を日々続けていると心が動揺しなくなるのじゃ。
それを不動心が身についたというのじゃ。
わしのブログ等を参考に実践してみるのじゃ。 >>13 そうじゃ、原因から起こることを観察するのじゃ。
完全に観察されれば厭離が起こるのじゃ。
自分が思考ではなく、思考の主体でもないと気づいて思考から厭離されるのじゃ。
そうすれば思考は制御できるようになるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
>>17 それらは大方引き継がないのじゃ。
自分のしたことが引き継がれるのじゃ。
悪い事をすれば悪いことが引き継がれるのじゃ。
善い事をすれば善いことが引き継がれるのじゃ。
人の侮辱などを忍耐すれば容姿がよくなるというのじゃ。
心が美しくなるからのう。
今の世でも忍耐する者は美しいのじゃ。
化粧とか美容整形とかもしてよいのじゃ。
自由なのじゃ。
神足通 … テレポ
天耳通 … リーディング
他心通 … テレパシー
宿命通 … リインカーネーション
天眼通 … アカシックレコード
漏尽通 … エンライトメント 年収の低い者が金儲けをしたいと思ったら、転職するしかないですか?
安月給だけど仕事が単純で責任も少ないので楽なんです。
けど、当然ながら生活は厳しいですね。
低年収でもお金に困らないように何かしたいと思ってるんですが、いい方法はありませんか?
鬼和尚は資産運用とかしてないんですか?
もはや金儲けをしたいとは思ってらっしゃらないでしょうけど、不労所得で暮らすことができれば
悟りの法の布教活動に全力集中できるんじゃないかと思いまして。 > そうじゃ、原因から起こることを観察するのじゃ。
> 完全に観察されれば厭離が起こるのじゃ。
> 自分が思考ではなく、思考の主体でもないと気
> づいて思考から厭離されるのじゃ。
原因を完全に観察する云々はあり得ない。
仏教には重重無尽というという言葉があり、あらゆることが相互に無限の関係をもって一体化し、作用しあっていることを言うそうだ。
つまり、その原因自体、他との関係に依って生起しているからね。 観測者効果ってのがあり、観察するという行為が観察される現象に与える変化を指すとか。
まぁ、それが止観とどう関係するかはともかく、観察する者が観察される者というのは間違いない。
観察からの飛躍がないとね。 >>22
例えば夢中になってハマっていたゲームが有る日突然下らないものに思えて止めてしまう
といったことが誰にもあると思いますがこれはプレイ=観察によって厭離が起きたのではないですか? >>19
幼少の頃から才能を発揮するような天才タイプは前世からの才能を引き継いでいるわけではないのでしょうか?
侮辱を忍耐すると容姿が良くなるのは何故でしょうか?
侮辱はやり返したりせずに忍耐した方が良いものなのですか? 鬼和尚、三日坊主の私ですが飲まずに朝座って、
コーヒー飲んでどこか出て何かしてた方がよほど良いのですが、何故か酒にどこか意識が向いています。
自業自得な結果な結果ではありますが、
交友関係も無く、仕事もなく独りです。
鬼和尚は以前お主の好きなものになれるのだと
おっしゃいましたが、なんだかこのままいくとどういう一生になるのかと懸念があります。
性格はどのようにして変わるのでしょうか? >>20 ご苦労さんなのじゃ。
>>21 転職もよいじゃろう。副業もよいじゃろう。
資産運用もするのじゃ。
何でも学んでどんどんするとよいのじゃ。
実践が全てなのじゃ。
>>26 才能は引き継がないのじゃ。行いの報いを引き継ぐのじゃ。
凄い才能があっても今の世で怠ければなくなるのじゃ。
才能がなくても今の世で練習すればうまくなって産まれるのじゃ。
お釈迦様は犬のまねをする行者が来世は犬か地獄行きだと言ったのじゃ。
忍耐する者は自他を守る行為をしたのじゃ。
忍耐しなければ喧嘩とかで心身が傷付くのじゃ。傷付いた者は醜いのじゃ。
忍耐した者は自他の心身を健全に保つ行為をしたのじゃ。
そのような行為で心身の健全な者になる報いが有るのじゃ。
心身の健全な者は整った健康美があるのじゃ。
おぬしがそのような者になりたいと思うならば忍耐するとよいのじゃ。自由なのじゃ。
>>27 すでに変っているのじゃ。かなり落ち着いたようじゃ。
本心を観ることで性格も変って行くのじゃ。
とこかに行くときはいま自分のいるところがわからなくては行けないように、性格を変えるには今の自分の本心がどのようなものか気づかなくてはならんのじゃ。
まだ酒に意識が有るならばそのような本心が有ると観察すると善いのじゃ。
心が変れば環境も変えられるのじゃ。
仕事も交友もできるようになるじゃろう。
心が全てを決めているのであるからのう。
貯金とかをどんどんするとよいのじゃ。 今回号のサンガジャパンには依存症と瞑想の記事があったな。
依存するという脳内回路に対し、瞑想により新たな脳内回路を作りそちらを通る様にするそうだ。 一度生成された依存の脳内回路は一生消えないとか。
また、瞑想により新たな回路が生成されても、たった一度の依存の復活でその回路が復活する事もあるそうだ。
何事も中道たるべし、程々に、って事なんだろうなw 鬼和尚は空いた時間でボランティアすることをお薦めしていましたが、
ボランティアにも良いものと悪いものがあるんでしょうか?
もちろん犯罪に加担するようなものは論外として。
例えば知り合いが経営する酒場を無償で手伝いながら、客の女の子を引っ掛けて遊びまくるのは
善とは言えないんでしょうか。 >>28
確かに、最初ここにやってきた時はかなりひどかったと覚えいます。
励みます。 すみません、鬼和尚、酔っ払って自分は相当醜いことをしていることを思い出しました。
何度も行なっていることを今の今まで思い出そうとすらしていなかったのです。
早急にどうにかしなければならない問題です。
どうすればいいでしょうか? >>25
何故プレイ=観察なのですか?
厭離?何故話がそこに飛躍するのですか?
単純に飽きた?
ゲームがエンディングを迎えた?
ゲームがクリア出来なくなった?
ゲームのストーリーが意にそぐわなくなった?
興味の対象が変わった?
まぁ、そのゲーム中のドーパミンの放出量に変化があったのは確かでしょうね。 因果応報、悪を為したら自分の心が自分を罰するのですよね?
何故、罰(または果報)は受けたらその業は無くなるのですか?
自分の心が「これだけ結果を受け取ればこの業の結果はおしまい」という風に判断するのですか?
それとも、心といっても因果応報を起こす意思があるわけではなく、もっと自動・システム的なものなのでしょうか?
であれば、因果応報は必ず受けねばなならず避けられないですか? >>35
重重無尽縁起といって、あらゆる物事が相互に無限の関係をもって互いに作用し合っているそうです。
一つの結果には一つの原因という見方は仏教ではしないかと。
あらゆる物事が相互に無限の関係をもって互いに作用し合って原因をつくり、その原因が、あらゆる物事と相互に無限の関係をもって互いに作用し合って結果となります。 悟っても、悟る前の因果応報の結果は受けなければならないですか?
しかし苦は無いのでしようか?
極端な話、極悪人が悟りを得たけど地獄に落ちた、しかし悟っているので苦は無い、という事になりますか? 鬼和尚は仏弟子だったころアングリマーラに会いましたか?
会っていたらどんな印象だったか教えてください。
教団内では入団したとき「やべぇよ・・・やべぇよ・・・」って反応でしたか? >>36
ありがとうございます。
なるほど、因果応報の考え方が全然違うのですね。
重重無尽縁起という言葉も知りませんでしたので調べてみます。 >>31 あるじゃろう。
そのように私欲に走ってはいかんのじゃ。
自らの慈悲の心で行うのじゃ。
それが善事といえるのじゃ。
>>32>>33 懺悔告白して二度としないと誓えば許されるのじゃ。
被害が及んだものにも謝罪したらよいのじゃ。
何一つ困ることは無いのじゃ。
実践すれば心も軽くなるじゃろう。
実践有るのみなのじゃ。
>>35 そうじゃ、自らの心が罰するのじゃ。
業などはないのじゃ。
全ては習い性によって報いになるのじゃ。
智慧が判断するじゃろう。
自分の心は誤魔化せないから必ず報いは有るのじゃ。
>>37 そうじゃ、受けるのじゃ。
アングリマーラは人を殺した後に出家して悟りを得たが、托鉢に行くと石を投げられたのじゃ。
それも悟っていれば苦ではないのじゃ。
悟ればもはや死後に地獄に行くこともないのじゃ。
>>38 その者は知らんのじゃ。
行き違いじゃな。
鬼和尚などの覚者は悟っても瞑想するんですか?するとしたらなぜですか? >>40
どんどん被害を増やしてひどいことになっているのにもかかわらず、
二度と飲まないと誓うことができない心の弱さが存在します。
そのうえそのループをずっと繰り返すのです。
すみません、自信がありません。二度と酒の上で醜態は晒しません。 >>40
>その者は知らんのじゃ。
>行き違いじゃな。
相変わらずハッタリをかましておるな、鬼和尚w 馬鹿鬼は見性してない。
そもそも仏教徒ではないのでは? 仏教は無我を説く。
罪に対して法律や道徳が説く内容とは違う。
無我なのに何が罪を犯すのか?
無我なのに何が罪を許されるのか?
馬鹿鬼は分かってない。 鬼和尚も確かにハッタリが多いが、さすがに糞ぼんぐ大山よりはずっと境地が高い。
糞ぼんぐ大山はレベルが低すぎるようじゃ。
>無我なのに何が罪を犯すのか?
>無我なのに何が罪を許されるのか?
糞ぼんぐ大山は七仏通誡偈の辺りから仏教を学び直す必要があるじゃろう。 >>46
無我なのに境地とは?
どうせ煽るだけて回答なしだろw 鬼和尚、
ゴキブリの何割かはものすごく悪いことをした元人のような気がするのですが合ってますか?
他の虫がシンプルなのにたいし、ゴキはIQが高くじっとりとした間をもっています。
あいつら何か考えています。 文才も知識も体験もない類猿人の描く仏教ストーリーは物笑いのタネに尽きないね。
でも本人は文才があって騙しているつもりでいるんだろうなw
その意味で鬼和尚は弄り甲斐があるし、暇つぶしには丁度良い。 下手なシナリオ書くよりもっと自分を出せば?
笑う門には福来る、ってなw >>47
>無我なのに境地とは?
糞ぼんぐクンは頭がちゃんと働いていないようですね。
お釈迦様の「悟りの境地」というものがあるでしょう。
(それは「無我の境地」と呼んでもいいですね。)
一方、糞ぼんぐクンのように迷いのド真ん中にいる人もいるでしょう。
(それは「迷いの境地=有我の境地」と呼んでもいいですね。)
もちろん、お釈迦様の境地と糞ぼんぐクンの境地の間にはさまざまな段階(境地)が存在します。
どの程度覚醒しているかの段階であり、これは「十地経(華厳経の十地品)」でも解説されていますね。 >>1乙〜♪
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ>>46公案に野狐にされちゃった和尚さんいましたおね?
迦葉って名前があったので過去七仏の迦葉なのか?お釈迦様のお弟子さんの迦葉なのか?解りづらかったです
公案難しい
他の和尚さんも野狐に生まれ変わる可能性があるんですか? >>54
はぁ?何言ってるのw
そんな事聞いてねーわw
>>無我なのに境地とは?
だよw
自我には本体がないのは知ってるかな?
仏教の基本中の基本なんだけどさぁ。
その境地たる本体は何処にあるんだい?
ひとつみせてくれないか? >>46
∞ノノハ∞
川^〇^ハレそれからこの動画は自我ですか?無我ですか?
https://youtu.be/Lxr9tvYUHcg >>55
迦葉仏の頃に百丈山の住職をしていたという和尚の事ですね。
ある修行者がその方に対して「大修行をしている人でも、因果の道理に支配されるのでしょうか?」と訊ねたのに対し「されない」と答えたら狐に生まれ変わってしまったそうです。
その狐に生まれ変わってしまった和尚が、百丈和尚に狐に生まれ変わってしまった仔細を話て、同じ質問をしたら百丈和尚が「誤魔化せない」と言ったそうです。
すると、狐に生まれ変わってしまった和尚は忽ち成仏したそうです。 >>58(続き)
マクドナルドの事を関東ではマックと呼び、関西ではマクドと呼ぶそうでw
迦葉仏時代の和尚はマック、百丈和尚はマクドと言った様なもんです。
別に味が変わるでなしw >>58
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ迦葉仏の頃なんですよね
最初は迦葉仏のお話しかと勘違いしました
公案自体難しい上に古文なので益々難しいです
大修行をされた和尚さんでも狐になったのはまだ修行が足りなかった事の戒めの公案なのかなぁ
仏性を備えているから誰もが成仏出来る訳ではないのでしょうか? >>61
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ一切衆生悉有仏性の解釈ですが目に見えない物質も含め全てでよろしいですか? >>62
一切についてパーリ語やサンスクリット語まで遡って調べてみました。(sabbe saGkhaaraa)
もろもろの事象、ということの様です。
で、事象とは、
ある事情のもとで、表面に現れた事柄。現実の出来事。現象。だそうです。
縁起するものであれば該当すると思います。 >>56
>>その境地たる本体は何処にあるんだい?
君は本当に思考力がない人ですね。高校でもまともに勉強していなかったのでしょう。
(もちろん、大学で何かを学んだということもないのでしょう。)
インスタント接心で師匠から教えられた言葉を丸暗記して禅がわかったと思い込んでいるだけ
なので、少しでも異なる表現については頭が麻痺して訳がわからなくなってしまうのですね。
「自我には本体がない」のではなく、一切のものに実体がないのです。これを「人法二無我」と
言うのです。「実体がない」というのは常住不変の固定した本体がないという意味ですが、
それが「わかっている人」と「わかっていない人」がいるのです。
そのわかり方の程度を「境地」と言うのです。「十(地)経」の(地)は境(地)の地です。
「人」がいないのではないのです。「人」はいるのです。その個々の「人」の<無我>に対する
理解・体得の深さの程度を境地というのです。
だから、「無我なのに境地とは? 」などと言うのは思考力のない馬鹿者なのです。 >>35,37
学びなおそう
ま
世の中は押した力で押してくる >>63
∞ノノハ∞
川^〇^ハレありがとうございました >>64
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ>>46と同じIDですね>>57の回答お願いします >>67
夢中になって踊っていますね。
忘我に近い状態で踊っている人もいるかも知れませんが、
「無我」というのは「我」の実体性を否定する概念(哲学的洞察)ですから、
踊っている人が無我であるとか自我(有我)であるとかを言うことはナンセンス
になります。
「無我」というのは存在に対する哲学的洞察であって、個々の人の状態のことでは
ありませんから、「無我」を無心や忘我と混同しないようにしましょう。 >>68
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ頭の中ごちゃごちゃになってしまってw
ユングが言う無意識が末那識や阿頼耶識で良いですか?
無我は無意識ではありませんか?
ノリの良い音楽を聞いていると無意識にリズムをとっていたり無意識に踊ったりしてしまっていますwww >>69
>ユングが言う無意識が末那識や阿頼耶識で良いですか?
重なる部分も多いでしょうが、違う部分もあるでしょう。
ユングは東洋の唯識を知って分析心理学を作ったのですから、
似た部分が多いのは当然でしょう。
>無我は無意識ではありませんか?
全然違います。無我というのは基本的に洞察内容のことであって状態のことではありません。 >>64
だ・か・ら!
>>64
>それが「わかっている人」と「わかっていない人」がいるのです。
そのわかったりわからなかったりするのは、一体何者なんだい?
いつまで循環論法を繰り返すんだよw >>64
>>46
>鬼和尚も確かにハッタリが多いが、さすがに糞ぼんぐ大山よりはずっと境地が高い。
で、その境地の理解具合をどう見分けだだよ?
www
成りすましの紛い物君w >「自我には本体がない」のではなく、一切のものに実体がないのです。これを「人法二無我」と
言うのです。「実体がない」というのは常住不変の固定した本体がないという意味ですが、
それが「わかっている人」と「わかっていない人」がいるのです。
そのわかり方の程度を「境地」と言うのです。「十(地)経」の(地)は境(地)の地です。
「人」がいないのではないのです。「人」はいるのです。その個々の「人」の<無我>に対する
理解・体得の深さの程度を境地というのです。
なるほど
目の覚める思いです >>73
自作自演の自画自賛はいいよw
しかも間違えてるしw
> その個々の「人」の<無我>に対する
> 理解・体得の深さの程度を境地というのです。
十地は諸々の波羅蜜完成の達成度合いじゃないの?
無我(等、二空)の理解は十地最下位の歓喜地な。 >>64
で、結局、あなたの無字の返事は無しだが、閉口って事で確定な。 >>70
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ無我はが末那識や阿頼耶識ではありませんか? >>78
気にしないでな。
草を生やしてるだけだからw
www www www www www www
刈り取る暇もねーわw
www www www www www www >>71
>そのわかったりわからなかったりするのは、一体何者なんだい?
本当に馬鹿者だな。
お前さんは人から名前を呼ばれたら返事をするだろ。
その返事をする「自分」に決まっているだろ。
「自分というものはない」などと言う師家でも、名前を呼ばれれば必ず振り向く。
その時、その師家に言ってやればよい。
「自分というものはないと言っておきながら、なぜ名前を呼ばれて振り向いたのだ?」と。
そして、その師家の頭を一、二発思いっきりひっぱたいてやればよい。
「空即是色(普遍→特殊)」がわかっていないから、言葉の表面にとらわれて「循環論法になる」
などと思ってしまうのだ。
お前さんは仏教哲学を勉強したことがないから、「普遍は特殊(個別)においてしかとらえられない」
という基本がわかっていないのだよ。 >>84
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ
>「自分というものはないと言っておきながら、なぜ名前を呼ばれて振り向いたのだ?」
名前を呼ばれて振り向く
無意識ですよね? >>84
> その返事をする「自分」に決まっているだろ。
> 「空即是色(普遍→特殊)」がわかっ(省略)
ここだな、君が躓いているポイントはw
君は縁起(空、無我)が分かってない。
まだ普遍だの特殊だのという次元だから、無字を見せろといわれても見せられない。
呼ばれて直下(無心)に振り向くのと、君の尺度(分別)で境地云々いうのは別なんだよ。
いいか?
菩薩の境地(智慧)は分別を離れたところにあるんだよ。
それを君の尺度で測って当てはまるから、「無我なのに〜」と突っ込まれるんだよ。 >>40
習い性によって報いになるとはどうゆうことなのでしょうか?
必ず報いはあるのですね。
今ある苦(または幸福)は、
自分の悪行のために智慧が自分に与えているもの
と考えて良いでしょうか?
だとしたら、苦滅の法により苦から逃れようとする事は、許されないのではないでしょうか?
例えば人を殺して苦しめた人が、来世で凄く人に虐められて苦しんでいたとします。
現世しか見ていなければ「可哀想、いじめは悪」となりますが、前世の報いであると思えば「人を苦しめたのだから報いを受けて当然」と思えます。
それなのに自己保身で苦滅の法で苦から逃れようなど許さん!とはならないのでしょうか?
智慧が苦滅を許さない場合もあるのでしょうか?
その場合は地獄行きで悟りや苦滅のチャンスも無いので、人間に産まれて来た時点で苦を滅する事は許されるのでしょうか? アングリマーラも人に石を投げられる時は悟っておらず痛みや悲しみに苦しみながら報いを受け入れていたのですよね。
苦滅の法は出来たけど自らの意志でやらなかったのでしょうか?
それとも報いを受けるまでは苦は滅せられないでしょうか?
もし苦滅の法で体や心の痛みを取ることは出来ても人から石を投げられることは変わらなかったと思いますし、
何の痛みも無さそうであれば、復讐した人ももっと腹が立って過激に攻撃をしたかもしれません。 >>84
「(自分という)実体はない」と言いながら「返事をするのは自分」と嘯き、その説明に仏教哲学での特殊と普遍の関係とまた嘯く。
だいたい仏教哲学じゃそんな考え方しねーわw
坊や、いいかい?
色【即是】空、空【即是】空なんだよ。
【即是】だよ【即是】。
坊やの言うところの普遍と特殊を当てはめると、普遍【即是】特殊、つまり矛盾なんだよw >>90(続き)
この矛盾が何故(仏教では)矛盾でないか、坊やには分からんのだろ?
だから、いつまでも缶切(循環)論法で言い逃れてるだけなんだよ。
つまり、紛い物。 鬼和尚がアジタ・ミッティアさん(たしかこんな名前でしたよね?)だったころの質問です
1 何歳くらいで出家しましたか?
2 家族は出家に対して何と言っていましたか?
3 家はどのカーストに属していましたか?
4 両親は何を生業にしていましたか?
5 出家したときお釈迦様は何歳くらいでしたか?
6 十大弟子の中で会ったことのある人がいたら教えてください
7 お釈迦様以外に直接指導してくれた人がいたら名前を教えてください
8 一番熱心に取り組んだ修行はなんでしたか?
9 修行は順調に進みましたか?
10 修行の一番の障害は何でしたか? 鬼和尚、意識が焦点を当てたところに形が生まれ、記憶が蘇り世界が生れることが見えました
純粋に世界は心の中にのみあったようです
意識の焦点があっていないときは人も世界も作られない
つまり何も現実には存在していない
これは真実でしょうか? >>87
>ここだな、君が躓いているポイントはw
インスタント接心で修行の真似ごとしか経験のない君が笑わせてくれるね。
君のボンクラ師匠は普遍と特殊などという高級な次元の話はしてくれなかっただろう。
「見るものが見られるもの」などという初心者のレベルでは<普遍と特殊>の話は無理なのです。
とにかく、君は国語の力がなさ過ぎるようですから、中学校レベルから国語の勉強をやり直すこと
が大切でしょう。そうしなければ、君は死ぬまで師匠に教えられた表現をオウムのように繰り返す
だけの人間になってしまうでしょう。
>>90 >>91
君には仏教哲学の勉強は早すぎます。中学校レベル、そして高校レベルの国語の勉強が先ですね。 >>94
∞ノノハ∞
川^〇^ハレジャンキーたんが構ってちゃんのお相手している時は生産的では無いと思うけど
優しいと思いますおw
仏教のお話しの連投は勉強になります
有り難いです♪ >>97
門外漢の人にとってはそうでしょうね。
仏教哲学とは印度哲学の中で特に仏教思想と密接に関わる領域の内容を指します。
中観・空観、唯識の純インド仏教や中国で発展した華厳・天台・法華・浄土の思想研究が主な対象ですが、
禅の<平等(普遍)と差別(特殊)>の問題も仏教哲学の重要なテーマだと言えます。
禅宗でも澤木興道老師などは<差別(特殊)>の重要性を強調して弟子を指導された方で、
「人間というのは屁一発でさえ貸し借り出来んギリギリの自分を生きなければならん」という言葉が
有名です。 >>95
なぁ坊や?
お前が紛い物なのはとうの昔にバレてるの。
仏教用語や寺族用語を知らない事。
無門老師や柳田先生等と接した時間軸が滅茶苦茶な事。
他にも数多あるが、今回では禅宗の師家の普遍・特殊の話云々な。
二相の説明にそんな言葉を使う老師なんざ見たことねーわw
普通は平等(特殊)と差別(普遍)だよwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています