徳川家康の6男、松平忠輝が家康・2代将軍秀忠によって対面禁止・領地没収して幽閉されていたが
赦免されたのは、死去から300年後の昭和59年(1984年)になってからである。
忠輝の菩提寺の住職が300回忌での赦免を思い立ち、
徳川宗家18代目当主の徳川恒孝に願い出て実現した。

なお、恒孝はその後歴史家に「歴史を後から変えるべきではない」旨の批判を受けている。

歴史家容赦なしというべきか、世が世なら歴史家が打ち首レベルの話