日本住宅公団初代総裁の加納久朗という人が、1960年に「新しい首都建設」という本のなかで、日本の新しい首都を作る構想を話しているが、やたら壮大。

東京湾の東半分を埋め立て、そこに皇居含む政府中枢を移転、新首都「ヤマト」をつくる。また、富津沖のあたりに国際空港を設置。
水資源は、利根川上流の群馬県に沼田ダムをつくり、霞ヶ浦と印旛沼を貯水池にする。
で、肝心の、埋め立てるのに必要な土は房総半島の山々を崩して、そこから得ようとしていた。
このうち、砂利と赤土で通常の方法では切り崩すのが難しい鹿野山と、地盤がとても固い鋸山は、核兵器でぶっ飛ばすという方法を考えていた。
こうして平らになった房総半島は、農業用地として転用するという考えだった。

加納はこの2年後に千葉県知事になるが、在任まもなくして死去している。