>>170
>そのような推測を語っても何の意味も無いのじゃ。

推測ではありませんよ。
また、鬼和尚の境地に問題があると言っているのでもありません。
鬼和尚の言葉の使い方に誤りがあると言っているのです。

「無我(自己にも外界にも実体はない)」という言葉の意味から考えて、
「ある人が無我になる」ということは言葉の意味から考えても成り立ちません。

もし鬼和尚も無我になっていたら、配達の仕事などできるはずがないのです。
鬼和尚が苦労して働いた給料をすべて他人がもらってもよいと鬼和尚が言われるなら
「鬼和尚は無我の状態にある」と言えるでしょう。しかし、個人としての肉体を持って
生きている以上、「無我の状態」は現実には有り得ないということです。
鬼和尚も自分が働いた分の給料は自分が得るべきものとしてちゃんと要求しているでしょう。

私自身、無我を「状態」のことだと思っていた間は何の体験も出ませんでしたが、宗教体験を得て
心が開放された時に、「無我」は状態のことではなく「洞察(の内容)」であることが解ったのです。