>>130 無心や忘我でも自分と言う名称とイメージはあるものじゃ。
 ただ一時的に忘れているというだけなのじゃ。
 無くなってはいないのじゃ。
 刹那に感じられるのじゃ。
 
 そうでなければどのようにして観照が起こるのじゃ?
 自分の名称もイメージも全く感じられなければ観照も起こりようが無いのじゃ。
 無我になって初めて自分の名称もイメージも感じられなくなるのじゃ。
 自ら無我にまで達しなければ到底、わしの語る言葉も理解しようがないのであるがのう。
 

 真の自己などないのじゃ。
 無いものを知りようも無いのじゃ。
 無いものが知れたと思うならば幻想を見ているだけなのじゃ。
 
>>131 えらいえらいえらいのう。

>>133 おぬしが無我に達したらそれが無知と怠慢による間違いと知るじゃろう。
 万巻の書を読み、不惜身命の実践を万日続けて無我に至るのじゃ。
 それまで語ることは慎むが善いのじゃ。

>>136 善いのじゃ。
 何でも試してみるのじゃ。

>>137 そうじゃろう。
 皮膚を強くしたり出来るのじゃろう。
 実践してみるのじゃ。
 自己責任で実践するのじゃ。