>>128
>自分という者が名称もイメージも感じられない時、人は無我になっているのじゃ。

それは違うでしょう。
それは「無我」を「無心・忘我」と混同している誤った説明です。
「無我」と「無心・忘我」は全く別のものです。
「自我に実体がある」と思っている人でも何かに集中している時には「無心・忘我」になれます。
「無我」の理解などはまったく持っていない人でも「無心・忘我」になることがあるのです。

<知る>という言葉は単なる知識を意味するとは限りません。
「真の自己を知る」などと言う時も<単なる知識>ではなく<体験と自覚>という意味を含んでいます。

鬼和尚は深い体験を持っておられても、それを表現する時にいろいろな誤りがあるように思います。