監視と騒音アピールが比較相手となる家の出勤と帰宅時間に合わせて行われる
相手の意味不明の模倣行為の意図を把握しようとするには
辻褄が微妙にズレていて一般人には理解しにくい面がある(すぐ戻ってくる、とかもそう)

おそらくですが、そこまで自分たちのやってる異常行動に
一貫した理屈はないんだと思う(驚くべきことですが、それくらい一般的な道理を持たず頭が良くない、とも言える、健常者に見えても何らかの発達障害も考えられる)
だから一般の人間からすると何がしたいのか分からない

彼らは、単純に感情的な、瞬間的な衝動、によって突き動かされていて
それは存在不安が根本にあります

例えば、監視(比較)ターゲットの人間が自分より早く出勤するとなると
それはとてつもなく不安で、負けたような気持ちになるわけですよ
だからターゲットよりも早く出勤する演技をしたり
ターゲットよりも遅く帰宅する演出をする
そして自分らはターゲットよりも外部社会と繋がりのある人間なんだ、という社会的アインデンティティを
仮想的(擬似的、間接的)に得ようとしているわけです(もちろん本当にはそれがない)
しかし半ば潜在的にその自己欺瞞も感じているから
(その異常比較行動をやっているときには安心できるのだが)
またすぐに不安が倍になって襲ってくるわけで不安がループしてしまうのです
それにより繰り返せせざるを得ない自己逃避的な比較行為へ依存していき
ターゲットの生活に合わせたライフスタイルを確立し、またターゲットを監視し続けるわけです