【室間添随症】隣近所が迷惑【監視・嫌がらせ】2
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テンプレ
動物や子どもを使って自分の主張をする擬態主張はいわゆる幼稚化によるものである
また咳払いや物音を使う、自分の背中を見せるなどの存在主張は
アイデンティティクライシス(存在不安)が生来的に由来することが原因
例えば、親に十分愛されて育たなかったり社会的アイデンティティが希薄だったりが主な原因
彼らは他者(隣人・近隣)関係との相対化が自己存在の確認になっているので
常に他者(隣人・近隣)を定規のように捉えて比較行動をして自己確認をしている
一度このターゲットにされると逃れることは不可能
存在不安は底なしであるので常にターゲットという物差しを使って
「自己」を確認しているからであり
悪感情であっても他者関係と繋がることで心の平安を深層的に得ているからである
テンプレ
彼らのような室間添髄症患者はむしろ悪感情のつながりを望む。
自分と同じくらい相手もこちらを意識して、悪い感情を他人に抱くことができる人間だ=私と不幸な人間だ
という認識を共有したいため。
つまり自身の不幸、不安、堕落が最も人間のなかで劣悪なレベルにあることを
半ば無自覚的に知覚しており、
それを他者も抱えているんだと思いたいという初期衝動が動機にある。
最も人間存在のなかで低い位置に属すると考えて下さい。 相手の嫌がらせ行為を無化できる唯一の方法はあるが
関係がこじれている場合は難しいかもしれない。
それは、一切関せずの精神。
悪感情も好感情も相手に一切持たずに鏡となって相手の思いを無化させること。
例えば相手が挨拶してくるならば同様に会釈し何の感情も相手に伝えないこと。
無視してもいけない。常に鏡となること。
例えば相手が嫌がらせをしてくる場合は一切を無視すること。
反応もしない、その話題も家庭内で絶対に出さない。
悪感情には一切関与をせず、感情も伝えない、動揺しないように見せる。
何事もなかったようにふるまうこと。
相手の対応行動はこれにより一時的から中期的に激化したり多様化する。
これは相手がドアをノックして気付いてくれ!と叫んでいるサインと考えてよい。
この段階は「怒り」であり相手が苦しい状態である。
普通の人はこれに反応してしまうため相手は「もっともっと」欲しくなる。
ここで関係が作られてしまうのでこれを頑張って断ち切ること。
×=私と不幸な人間だ
○=私と同じ不幸な人間だ テンプレ
詳しくは省略するが、「怒り」→「あきらめ」→「対象喪失」→「受容」→「希望」
という過程で正常な生育過程を擁した子どもは「生」を肯定するが
十分に満たされずに成長したアダルトチルドレンは
この生育モデルリングの過程を持っていない。
つまり、自分の苦しみを相手に伝えることでのみ
自己弁護する方法しか持っていない。
彼らはこの怒りのサイクルで永遠とぐるぐる留まるように関係性を構築したがる。
しかし泣いて駄々をこねる子どもをあきらめさせるのと同様に
時間はかかるが一切の関係を無視し続けることで相手は「あきらめ」の状態に昇華できる。
相手を教育してやらなくてはならないということでもある。
またこの怒りを無化させる方法は相手がしている行為が全て自分に跳ね返ってきて最も相手が苦しむ方法でもある。
彼らにとって、嫌がらせに反応したり自分を憎んでくれることは
最も幸福な瞬間であるということを忘れないように。
心臓に毛が生えていないとなかなかできない境地ではあるが
相手にしない、憎しみもしない
この対応が最大の報復であり、また関係を遠ざける唯一の手段。
彼らの特徴の一つに擬態行動という習性がある。
あらゆる模倣行為も比較行動のうちの一つである。
この習性を使いながら相手の幼稚な生育過程を再教育していくという認知行動療法の裏ワザ。
上記事項に加え、被害者は堂々と普通の生活をすること。
こそこそ話を絶対にしないこと(相手は自分の話をしていると思い込むため)。
隠れるように自宅の出入りもしないこと。
相手の動きに絶対に合わせないこと(意識しないようにすること)。
わざとらしい「気にしてない」素振りをしないこと。
石となり鏡となって相手の嫌がらせ行為及び監視行為を無化すること。 監視と騒音アピールが比較相手となる家の出勤と帰宅時間に合わせて行われる
相手の意味不明の模倣行為の意図を把握しようとするには
辻褄が微妙にズレていて一般人には理解しにくい面がある(すぐ戻ってくる、とかもそう)
おそらくですが、そこまで自分たちのやってる異常行動に
一貫した理屈はないんだと思う(驚くべきことですが、それくらい一般的な道理を持たず頭が良くない、とも言える、健常者に見えても何らかの発達障害も考えられる)
だから一般の人間からすると何がしたいのか分からない
彼らは、単純に感情的な、瞬間的な衝動、によって突き動かされていて
それは存在不安が根本にあります
例えば、監視(比較)ターゲットの人間が自分より早く出勤するとなると
それはとてつもなく不安で、負けたような気持ちになるわけですよ
だからターゲットよりも早く出勤する演技をしたり
ターゲットよりも遅く帰宅する演出をする
そして自分らはターゲットよりも外部社会と繋がりのある人間なんだ、という社会的アインデンティティを
仮想的(擬似的、間接的)に得ようとしているわけです(もちろん本当にはそれがない)
しかし半ば潜在的にその自己欺瞞も感じているから
(その異常比較行動をやっているときには安心できるのだが)
またすぐに不安が倍になって襲ってくるわけで不安がループしてしまうのです
それにより繰り返せせざるを得ない自己逃避的な比較行為へ依存していき
ターゲットの生活に合わせたライフスタイルを確立し、またターゲットを監視し続けるわけです それが一般の感覚からして明らかに嘘がバレバレなもの(タイミングなども含めておかしいもの)であるにも関わらず
それが自分らではそのタイミングのおかしさを自覚ができないくらいに
衝動的な不安に突き動かされたように反射行動を繰り返す原因です
テンプレ
だから、当然、理屈なんて通じません
当人の問題なんです
生きる尺度にされてしまうターゲットには何の問題もないわけで
ただただ迷惑な限りですけどね
一般人からすると理解を超える異常比較行為なわけですから
気味が悪くなってきて視界から耳から阻害したくなるわけですが
その執拗なつきまとい行為は逃げるほどにしつこくなります
だからと言って相手に道理を求めようとしたり批判したりすれば
それは相手を帰って喜ばせます
「自分たちと同じように相手を意識しているんだ!」と彼ら問題者は理解するんですw
これが非常に厄介
相手は自分の価値観が異常に強いです
他人の言葉も何も入ってこない厚い壁によって守られた価値観です
それが厚いからこそ自分たちの異常行動を客観化することもできないし
相手の行動を自分たちの価値観でしか捉えないわけですよ
つまり、とにかく反応しないこと、これしかないんですよ
それでも付きまといますけどね
相手すると相手は喜ぶのです(安心するのです) エア出勤(隠れて居留守)をするサイコパス属の室間添髄症患者の場合、
挨拶を交わしたがることが顕著
これはターゲットに視認してもらいためである
自身の演出する嘘の人格を肯定したいための承認欲求が要因
あなたの事例の場合では、「スーツで出勤する自分」を
あなたに視認してもらうことで患者は自己肯定を得ている
室間添髄症の重度では、視覚と聴覚、嗅覚などの語感を強く利用した訴えを行う。
五感を利用するという演出行為は
極めて生理的な欲求に根差しており
患者自身の生理欲求に通じていることからも自明の通り
幼稚で単純、且つ衝動的な「嘘」をつくことで他者を利用するという
サイコパスに通底する心理がある
このことから重度の室間添髄症患者は
サイコパスの一種であることが近年の研究で分かってきている 室間添髄症に演技体質が特異的に存在するのには
憑依のような人格障害、つまり多重人格障害があるから。
サイコパス型、人格障害型など類型パターンがあるものの
どれも共通している要因に
自己肯定感の著しい欠如と社会性の欠如があり
そのための「演技」「演出」「壮大な嘘」「他人をコントロールする欲望」へと派生する
劣等感と不安から、
他者への共依存または病的競争心によって
「他者」へのあらゆる渇望、他者のいる社会への恐怖が
心理的に内在しているために
別人格に成り代わったり、嘘をこしらえて自己隠匿を計っている
この派生部分の違いがあるだけで
基本的には室間添髄症患者は
人格障害とサイコパス的傾向を多層的に抱えていると思われる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています