>>633 一切の恐れの原因は最後には自分があるという観念に帰るのじゃ。
 自分があるという観念から全ての恐れは生じるのじゃ。
 恐れの根本原因は自分があるという観念なのじゃ。
 そうであるから今の自分の知ることの出来ない原因は無いといえるのじゃ。
 安心して苦を滅するとよいのじゃ。

>>634 そうじゃ、自分が無くなるという恐れじゃろう。
 それが修業の妨げになるならば観察して無くすとよいのじゃ。
 それほどでもないならば放って置いてよいのじゃ。
 そのように感じられることは死を思う役に立つといえるのじゃ。

 そうじゃろう。
 死から逃避し続けてきた大抵の人間は、逆に死のことも本気で思えなくなるものじゃ。
 おぬしには高所の恐れが死を思うのに役立つかしもれんのじゃ。
 死もまた修行を導く道しるべと言えるのじゃ。

>>635 それもありのままに観察すればよいのじゃ。
 死の恐れそのものを恐れ、逃避していると観察するのじゃ。
 そうすればそれもなくなるのじゃ。

>>636 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。