上のクリシュナムルティの話を読んで、オショーやクリシュナムルティは人間の美醜の観念から離れられていないように思えていたのであまり本などを読む気にならないことを思い出しました。

オショーもクリシュナムルティも何故男女や美醜の観念を持ち続けたのでしょうか?

それに、鬼和尚のように明確に修行法を示してくれた覚者が居なかったのは何故でしょうか?

鬼和尚の悟りレベルが高いからでしょうか?