>>498
>僕がひねくれているだけですかね?

ひねくれていると言うよりも、「宗教・仏教というものがわかっていない」
ということですね。

何年後か何十年後かも、または来世か来々世かもわかりません。
ですから、明日かも知れません。今日起こるかも知れないのです。
仏道修行とはそういうものです。

>悟りは「いま、ここを生きる」の精神ではないのですか?

迷いの意識状態で「今、ここ」を生きようとしても空しいでしょう。
本質を言えば、「悟りは今ここにある」のですが、それに気付くのに
時間がかかるということですね。

>“今の苦しみ”をわざわざ聞いておいて、“未来の安らぎ”を説く

本当は未来などないのです。それがわからないために“未来の安らぎ”を
説いているように思ってしまうのです。
その“未来”とは、実は“今”であることに気付かなければなりません。
未来というのも今の意識内容なのです。

迷いの状態にありながら「悟り」を理解することは絶対にできません。
ですから、仏教の教えを頭で理解しようとすることはやめる方がよいのです。
頭を空っぽにして、仏典や覚者の言葉に耳を傾け続けていけば少しずつ意識が変容
して行って、やがて真実の世界が見えるようになるでしょう。