>>445
仏教というのは、世界に対する対象的な理解ではないのじゃよ。
対象的な理解というものは、その内容がどのようなものであれ、それを見ている主体が残るじゃろう。
その主体を対象(客体)にすれば、その瞬間にそれを見ている主体が生じることになるのじゃ。
そして、真に問題であるのは対象(客体)ではなく主体なのであるから、対象的な理解によって真実を
知ることはできないことがわかるじゃろう。