【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】38 [無断転載禁止]©2ch.net
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*悟りを開いた人には偉大な知恵があるらしいわ。
*生活のことなんでも聞いてみましょう。
*あるゆる悩みを聞いてみましょう。
*罵倒、批判だけのレスはスルーよ。
<前スレ>
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ37
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1487255959/150 >>121
> この世や人間が生まれた
これも観念だよね。「この世」とか「人間」って部分。
何言ってんのあるでしょう、と思うかも知れないが、ではそれは何かと問われて出てくる答えは何だろうか?
何が「人間」で何が「この世」なのか? 記憶に基づく漠然としたイメージがあるだけであって一体それが何なのかは未だにわかってないのではないか?
勝手にこういうものだと決めつけていることはあるかも知れないけどね。 >>121 おぬしがそう考えたいならば自由なのじゃ。
誰も止めはしないのじゃ。
思想の自由なのじゃ。
>>122 それでよいのじゃ。
お釈迦様も善い友とだけ付き合えと言っているのじゃ。
悪い友は付き合わなくて善いのじゃ。
年収250万でも劣等感に苛まれず、豊かに幸せに暮らす方法はありますか?
労働意欲がそんなに高くないので、転職とか資格とるとか興味が持てません。
安月給でも楽な方がいいなと思ってるくせに世間体を気にしてる自分がいます。
あと金がないと思われるのが怖いので、人前で気前のいいところを見せすぎて毎月赤字です。
ちゃんと生活を立て直したい。何をすればいいですか。
鬼和尚が働いてるのは、何のためなんですか? >>125
それほとんど自分で答え書いちゃってるような気がするが、世間体を気にすることや
人前で気前のいいところを見せすぎることを縮小できれば、つまり劣等感を小さく
できればいいだけでは? (逆に言うと劣等感そのままだと金が幾らあっても足りなく
なって心理的な欠乏感に変化はないと思う)。
ここで一つ重要なことは、今持っていないものを沢山持って人を抜かせば劣等感が
なくなるわけではないということ。人と戦って勝とうとしても上には上が居るので勝てる
日は永遠に来ない。特定の分野で世界一になることは可能かも知れないがすぐに
誰かに抜かされる。人との競争はやってもいいがあまり意味がなく幸せとは無関係だ。
勝った直後はあたかも幸せになったかのような錯覚はあるかも知れないけどね。
それはそれまで自分で自分に対して勝利を無理強いしていたのが一時的に停止
して楽になるからだ。しかし放っておくとまたその脳内の回路が動き始めて苦しくなる。 鬼和尚、私は前の世で修行者だったとはなしていましたが、
誰のもとで学んでいたのでしょうか?
少し、気になってしまいました。
変なこと等はしてなかったでしょうか? 鬼和尚は、上司に怒鳴られたり嫌味を言われたことはありますか?
もしあるなら、その時はどうしましたか? >>125 簡単なことじゃ。
劣等感とはおぬしの心の中にだけあるものであるからのう。
他の者は誰もそれを劣等と思っていないのじゃ。
なぜ劣等感があるのか、なぜお金が無いと想われるのが怖いのか自分の心の中に原因を探してみるのじゃ。
昔、お金が無くて嫌な思いをしたからかもしれん。
その原因があるから劣等感や恐れがあり、原因が無いときは劣等感や恐れも無かったと心を観察するのじゃ。
そうすれば劣等感も無く豊かに暮らせるじゃろう。
収入の範囲内で生活すれば生活も立て直せるじゃろう。
わしは働く者の心を知るために働くのじゃ。
>>128 そこまではしらんのじゃ。
自ら思い出してみるのじゃ。
>>129 特に無いのじゃ。
相手にしないのじゃ。
確かに、変な質問ではありました。コテをつけて聞いてはいけないことではあります。
失礼しました。 >他の者は誰もそれを劣等と思っていないのじゃ。
質問者ではありませんが
自分が「劣等だ」と思っていることを
現在実際に他人が「劣等だ」と思っていたり言ってくる場合は
自分の心の中だけにあるわけではないと思いますが、どうなのでしょうか? 鬼和尚、孤独が辛くなってきています。
どのように向き合うべきでしょうか? >>132
わしは初老の域に入り頭もボケてきたので、書くことが思い浮かばないのじゃ。
坐禅は毎日やっているが、「悟り」からは離れていってるのかもしれん。 わしは鬼和尚が2ちゃんで説法を始めた頃、最初に弟子入りした
一番弟子なのじゃ。もう15年ほど前になるのじゃ。
考えてみれば、修業はあんまり進んでいないかもしれん。
でも、サティやサマーディの経験はあるのじゃ。
もう遠い昔じゃがのう。
今は晴耕雨読の生活をしておるのじゃ。
今年の若葉の頃は山がきれいじゃった。
ヤマザクラ・ヤマブキ・ミツバツツジの季節も終わり、フジの花が咲きはじめた。
季節は一刻一刻と進んでおるようじゃ。
人間が植えたものより自然のものがいいのう。 あまり、言うべきことではないのかもしれませんが、
過去の経験について、鬼和尚に教えてほしいと思うことがあります。
制感の法を独学で行っていたときです。
知人が失恋し苦しんでいる話を聞いていると、
別れが必ず訪れてしまう、と察知したのか、
目の前がそのとき歪んで見えたのです。
悟ったと勘違いし、その上泣いてばかりいたのを覚えています。
それからというもの、両親や他人、酒にも思い切り依存しています。
私が見たものは一体何だったのでしょうか? >>131 そうじゃ、自ら思い出してみるのじゃ。
恐れを超えれば出来るじゃろう。
またおいでなさぃ。
>>133 他人もまた自分の心の現われなのじゃ。
別のことを言っていても自分のことを言っていると思えるのじゃ。
その他人も自分の事で頭が一杯なのじゃ。
自分がそうであるようにのう。
他人が何を言っても自分の心に劣等感があれば自分のことを言っているようにきこえるのじゃ。
>>134 ただ観察すればよいのじゃ。
孤独そのものと、孤独への恐れと、孤独への恐れから逃避が起こるとよくみてみるのじゃ。
そうすれば孤独も自分のものではないと気付くじゃろう。 >>137 他人の話による愛別離苦が同化してしまったようじゃのう。
その苦が自分であり、自分のものと認識してしまったのじゃ。
悟りならば泣くことも無く、依存することも無いのじゃ。
>>9さまへ。
両手じゃないと出来ない動作、色々あります。
たとえばビンのフタあけるとか...
中でも難しいのを、どうにか片手でやれないかなと、考えてました。
それで方法みつけたら、その指のかたち使うと、手から気が出るようになったんです。
気てゆうと怪しげだけど、世間的には神通力てゆわれるの、一部現れたりも...
5月4日、わたしの32の誕生日に、降りてきた。
でも>>9さまの解いたのは、そおゆうなんてゆうか、小手先じゃないんですよね、多分...
えー、なんだろう一体。
ちょっとズレたとこ伺いますと、>>9さまはこだわり消えたのに伴い、健康面の変化はありましたか? 鬼和尚はやる事が無くて暇だなぁと思う時間はないんですか?
ゴロゴロしたり時間を持て余すことはないんですか。
仕事と家事と睡眠と修行以外は何をして過ごしてるんですか。 >>140
おもしろいですね。
断食療法やってた知り合いが真面目に断食してる人達はみんな気みたいなの見えてたって言ってました。
持っていた身体感覚が弱まったりリセットされると今までわからなかった別の感覚が出てくるのはあるんじゃないかなあと思います。
公案も観念が弱まったりリセットされるだろうからいろいろ起こるかもしれないですね〜。
右手で右手首をつかんでみるのもいいんじゃないでしょうか。
普通に考えるとできるわけないですけど、できそうな気もしますね。
できないことができそうな気がするのはなんででしょうねえ。
こだわりが少なくなって健康に関してもこだわりが少なくなりましたね。
心身は心身自体が勝手に面倒見てくれるだろうという感じで、気にしないぶん健康になったと思います。
心身が自由になってそれで快調になるかんじでしょうか〜。 鬼和尚、気分が落ち込んだ時はどうしたらいいですか? 鬼和尚、ある古ぼけた喫茶店で、中学校の恩師(89歳)の話を
よく聞いています。
恩師は豪快な人です。私は繊細な方です。
性格が反対なのに話がよく合います。
これは善行になりますか? 鬼和尚さん
日常生活の苦痛を色々と観察していたら、自分の人見知りが原因ではないかと思い至りました
この人見知り病を破壊する方法を何か教えていただけないでしょうか >>138>>139
結局、何かそのための逃避に出て行ったところで、
解決にならないどころか余計な苦を作ってきたのが
私でした。
今もまったく同じことをしようとしているようです。
あまり、他人は見ないほうがいいようですね、
ありがとうございました。 >>141 むしろ時間が足りないぐらいなのじゃ。
本を読んだり経を読んだりしているのじゃ。
勉強あるのみなのじゃ。
>>143 善い事を思い出すのじゃ。
昔、海岸にリゾートに行って楽しかったとか、山に行って面白かったとか思い出すとよいのじゃ。
ホームランを打ったとか、シュートしたとかでもよいのじゃ。
常日頃からそれらを思い出して気分転換に使うとよいのじゃ。
>>144 なるじゃろう。
やさしく話しかけるのも善行であるからのう。
どんどんやるとよいのじゃ。
>>145 それにもまた原因があるじゃろう。
それを追求するのじゃ。
原因から人見知りが起こり、原因が無かった時には人見知りも無かったと観察すれば破壊されるのじしゃ。
実践あるのみなのじゃ。 >>146 そうじゃ、それに気付いてよかったのじゃ。
またおいでなさい。 鬼和尚、私は朝の寝起きの気分がいつも悪いです。
小さい時から行きたくもない学校に行かされ、
したくもない仕事をしていたから習慣になっているのだと思います。
私は家でぶらぶらしているのが一番良かったのだと思います。
でも、生活の糧は稼がなければならないから、仕方ないです。
寝起きの気分を良くするには、どうしたらいいですか? >>148
人見知りをさらに観察ですか。まだまだ実践不足でした。アドバイスありがとうございました >>150 朝目がさめたら直ぐに見える場所に好きな絵とか気分がよくなる言葉を掲げておくとよいのじゃ。
今日は最高の一日になるとか、資産がどんどん増えていくとか、書くのじゃ。
好きな音楽がボタン一つで直ぐになるようにしてもよいのじゃ。
いろいろ工夫してみるのじゃ。
>>151 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。 昔から女性より男性の方が出家したり修行したり俗世を捨てて求道者になる割合が高いように感じます。
なぜでしょうか?男の方が悩み苦しみが大きいんでしょうか。
性差でどのような違いがあるんでしょう。 >>153
どこにそのようなデータがあるか教えてください 鬼和尚、人間にはやっぱり相性がありますね。
教養とか趣味とか性格とかによって・・・。
なぜ、人間はマチマチなんでしょうか? 悪い感情には同調、同化しないことが大事なんですね。
同化するなんてどうかしてました。 鬼和尚、優劣というのもただの観念なのでしょうか?
悟っている人にとって優劣というものは存在しませんか? >>153 女子は社会的に縛られていたからじゃろう。
子供が居れば育てなければならんしのう。
源氏物語のように女子が出家したいと想っても旦那が止めることもあったじゃろう。
女子は菩提心があっても意のままにならなかっただけなのじゃ。
>>157 生まれつきの生死と育った環境や体験が違うからなのじゃ。
人は生まれつきの性質に環境による体験を性格に反映するからいろいろいるのじゃ。
それを観察によって知るとよいのじゃ。
>>158 そうじゃ、同化しないことじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>159 そうじゃ、それも観念なのじゃ。
悟れば無くなるのじゃ。
何かの特徴で優れていてもそれが劣ったことになるのもよくあることじゃ。
象は体がでかいから多くの獣に優るが、沼地に行くと重くて沈んでしまうとかのう。
優劣もまた幻想なのじゃ。
最低なサイコパス人間に心を許してしまったというか、オーラを開いてしまった黒歴史があってトラウマになっています。
当時の自分は正気ではありませんでした。
あれから十年以上つきまとわれています。
しっかりしてなかった世間知らずの自分が悔やまれてなりません。
相手は凄まじい妄執で付き纏ってきます。
縁をもってしまった自分を殴りに行きたいです
若気の至りでしたテヘペロとすましていいでしょうか。 追記
今思うと、最初から獲物を狙うサイコパスオーラ丸出しだったのに、
当時人から話しかけられることが滅多にない劣等感の塊だったので
深く考えずに知り合ってしまいました。
本当にのたうち回るくらいダサくて恥ずかしくて黒歴史にもほどがあります。
相手は心のない爬虫類に悪魔と寄生虫をたしたような者です。
ちょっと吐露して楽になりました。 鬼和尚、世の中は良くなっていきますか?
いつの時代でも同じですか。 女性のきれいな裸を見ると癒されます。
これも欲ですか? >>161>>162 そうじゃ、教訓にしたらよいのじゃ。
そのような者もえらいえらいとおだてて操ったらよいのじゃ。
役に立つじゃろう。
>>164 おぬしが修業して楽になれば世の中もよくなるのじゃ。
全ておぬし次第なのじゃ。
>>166 それはまだ欲ではないのじゃ。
好みなのじゃ。
何度も見たいとか触りたいと想うのが欲なのじゃ。
世の中の人は、毎日毎日よく仕事しますね。
私はもう仕事するのに疲れました。ゆっくりしたいです。
仕事はもう辞めましたが、農作業があります。
農作業は力仕事なので、しんどいです。
人間は仕事をしなければいけない生き物なんですか? >>168
何か食って栄養補給をしないと体が飢えて死ぬようになってるだけで、こうしなければいけないとかはない。
ないが、人とトラブルにならずに体を生かすことを実現する最も簡単な方法は働いて金を得てそれで食料を買って食うことだ。 人間にとって唯一の仕事は生きることだからな
生き方はどうでもいいおまけみたいなもんだし悟りを目指すか意志があるかどうかの違いくらい 鬼和尚、鏡の法則ってのがありますが、年中ニコニコして心穏やかにしてたら良い結果が出るんですか?
興味がある反面、ものすごくナヨナヨした人間になりそうで恐いっすわ >>168 資産があれば働かなくてよいのじゃ。
しかし、体を常に動かしているとよいのじゃ。
体を動かすと病にもなりにくいのじゃ。
止まっているとやがて死んでしまうのじゃ。
動く物と書いて動物なのじゃ。
>>174 よい結果が出るじゃろう。
ナンパにも成功しやすいじゃろう。
笑顔で居てもなよなよしないものになると良いのじゃ。
そのような自分をイメージするのじゃ。 悟りを開いた人から見て、オシャレってどう言うのが本物だと思われますか?
オシャレを気取ってる人はたくさんいますが、大抵は誰かの真似だったり自己満足に見えます。
そんな自分に酔っている姿を見ると、なんか痛々しい。
けど、なにをしてる人が本物のオシャレな人間なのかわからない。
本当の意味でオシャレって、どう言う状態ですか?
もしやオシャレというのも幻想だったりしますか。 一般的な人(特に修行とかしてない)が植物状態になった場合、その人の本体?はどうなっていますか?
肉体が生きている限り体とリンクしていますか?
実は早く呼吸器を外してほしいとか思っていますか?
それともすでに体から離れて死者の意識と変わらないですか? 自分の中にある嫌な性質を観れて気付けたときと、
自己否定の違いは何でしょうか?
ある種の保険のように
「どーせ俺は」
と考えている状況とは違うような気がしています。 >>178
ゴラアー、ちゃんと修行せんかい!
怠けたらアカンがな。弱虫!意気地なし!お前のカーチャン出べそ! >>176
定義してよい
が
守破離は標準だ
>>179
考え方を考えよう >>181
ありがとうございます。
多分、揚棄の癖です、確かにやめるべきですね。 すみません、もう一つです。
冷徹に見なさいと鬼和尚はおっしゃってましたね。
座れないほど心がまずいことになっていたのか、
数息観を始めたらまた楽になりだしました。
ですが、やめるとあっという間に元通りになってしまい、
楽になった、もう大丈夫だ、しばらくしてやめる、
また苦しみだす、しばらくして楽になってまた始める、のループがずっと続いています。
観察が不完全だと習慣、心、その他諸々ももとに戻るようにできているのでしょうか?
苦滅の法もきちんとできてなかったようです。 鬼和尚、昨日、草刈りをしていたら、上の木から落ちてきたのか、
小鳥のヒナを傷つけてしまいました。もう、死んでるかもしれません。
心の中で謝りましたが、許されるでしょうか? 長年、自分の中にあった人嫌い感の本当の正体が分かりました。恨みでした。
小さい頃に恵まれなかった人間関係が原因で(私にも非はあると思います)、不特定多数の人に恨みを持つようになってしまったみたいです。
対策として、原因がない状態を何度もイメージしたり、そういう思いを持つのはもうやめよう、と自分に何度も言い聞かせていきたいと思います。
鬼和尚さん、このスレの皆さん、ありがとうございました。 >>183
なんとなくダイエットとリバウンドを繰り返しているみたいだな。 修行を邪魔する魔の存在というのは、そのような人格や思考を持った存在があるのではなく、心の働きのことでしょうか? 菩薩などの存在も、実際に人格や思考を持った存在がいるのでしょうか?
それとも、そういった働きなのでしょうか? >>176
悟ってないけど幻想そのものだと思うけどねえ。時代と共に流行が変わっていっちゃうしねえ。
とりあえず身だしなみに気を付けていればおしゃれな人ということにはなるだろうけど、
結局のところそれは周りの人に合わせてカメレオンのように見た目を変えてるだけのことだよな。
それは承認欲求や自己否定の結果なんだろうけど、それが強すぎて過剰に人に合わせることになれば当然それは苦になるし。
やはりやり過ぎるとろくなことはないだろうな。
>>179
気付いた場合は否定は既にしてないのでは? 肯定もしてないだろうけど。 菩薩などの瞑想をすることが良いのは、何故でしょうか?
実際良い方向に向かわせてくれる気がします。
助けてくれる存在があるのでしょうか? 破壊的な念(殺意や排除)を受けたら心が動かなくても肉体はダメージになりますか? 苦の原因の在る悲しみには、どう対処すればいいですか?
対象と自分への、慈悲の瞑想がいいのでしょうか? 慈悲の瞑想以外で、いい方法がございましたら教えてください。 >>176 本当のおしゃれとは心が清い者なのじゃ。
どんなに着飾っていても人や動物をいじめていれば全てが不細工に見えるじゃろう。
汚い心を隠すための装いに更に嫌悪感が増すものじゃ。
外見はどのような者でも人や動物に優しいものは誰にでも好かれるのじゃ。
その者が着るものを他人もまねしたいと想うじゃろう。
心の清いことが本当のおしゃれなのじゃ。
>>177 肉体にあるものも居るじゃろう。
離れている者もいるじゃろう。
人や場合によって違うのじゃ。
>>178 後三日で死ぬと想うのじゃ。
そうすれば必死に修業する気になるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>179 気付きは事実をありのままに受け入れることなのじゃ。
今ここにあるものごとを認識することであり、否定も肯定も無いのじゃ。
自己否定は観念による条件付けによるものであり、事実でもないのじゃ。
過去の記憶に基づくものであり、今ここにはないのじゃ。
そのような違いがあるのじゃ。 >>183 観念が残っていればそうなるじゃろう。
毎日五分でもよいから続けるのじゃ。
更に他の苦も滅すれば楽になるのじゃ。
継続あるのみなのじゃ。
>>184 許されるのじゃ。
わざとしてことではないからのう。
おぬしも自分を許すがよいのじゃ。
>>185 よかったのじゃ。
その原因から苦が起こる事をただ観察すればよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>184 そうじゃ、修業の邪魔になる心の働きなのじゃ。
>>188 菩薩とは悟りを求める者のことなのじゃ。
悟りを求めるならばおぬしも菩薩なのじゃ。
>>190 親の愛を補足してくれるからなのじゃ。
大抵の者は親の愛に飢えているものじゃ。
愛が満ちれば他人をも愛せるからよい方向に行くのじゃ。
>>191 ならないのじゃ。
それを発したものを傷つけるだけなのじゃ。 >>192 それもまた原因から観察すれば滅するのじゃ。
悲しみは執着していたものがなくなるとか、拒絶されるとかすると起こるのじゃ。
その原因となる執着が何か探すのじゃ。
原因から悲しみが起こり、原因が無ければ悲しみもないと観察すれば消えるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。 鬼和尚さん、ありがとう。
とりあえず、ひとへの執着をやめること、今までの人間関係を赦すこと、と気づけました。
そう思えた過程で、仏法のようなものも感じましたよ。
苦滅もできそうです。
本当にお世話になりました。 ひとを赦すことは自分を赦すことで、自分を赦すことは、ひとを赦すことでしょうか。
愛は自由であり、自由は愛でしょうか。
観念遊戯かも知れませんが、お答いただけると幸いです。 久しぶりに帰省したら家族みんなが年老いて体が弱っていく姿を目の当たりにします。
飼い犬さえも病気にかかって弱っています。
治療しても治らない病気、寝たきりになって死を待つだけの毎日がすぐそこまで近づいている。
当たり前の事とはいえ、身近な人や動物が弱っていく様を見るのが怖いんです。
いずれやってくる家族の死と向き合う自信が持てません。
どのような心持ちで家族と接すればいいのか。
どうやったら死を受け入れられるのか。
家族がみんな死んだ後、残された自分はどのように生きればいいのか。
どうか教えてください。 >>199
私からの答えですが、老病死にはそれらの受容力をみがく、残された後の生き方は自由に、かなぁと。
基本的に受容できれば、それだけ心の自由度、自由感も増えると思います。 >>186
>>194
ありがとうございます。
悲しいかな、むしろ鬼和尚にお会いする以前よりも
生活習慣だとか環境はひどいことになっています。
事実をありのまま受け入れ続けることで
心は磨かれていくのでしょうか?
テーラーガーター、テーリーガーター等
見てみると、
むしろ修行中の方がもっと苦しんでいる修行者も
数多くいるように思えます。 ふと思えば何かに昇華させたいとか思っているのでしょうか、
それとも苦が表面化してごまかしきれなくなってきたのか。
いずれにせよ、完全に自分の怠惰から来てるものではあるのですが、、、
すみません、無礼ともとれる質問ですが、どうしても気になってしまいました。 >>201
ただ自分の想いを受容するのが良いと思います。
私はさっきメモ紙に、自分の気持ちとその原因、対策法を書き連ねてみました。
そんな感じで現在までの自分を整理し、今では落ち着いてすっきりしてますよ。 鬼和尚、農村地帯に住んでいますが、近所に自己中心的な人が
います。例えば、私の土地のタケノコを勝手に採ったり、栗の木の
葉っぱが墓に落ちてくるので栗の木の枝を切ってくれとか、非常に
自分勝手です。
こういう人に対しては、どう対処すればいいですか? 本当の自分を生きることができれば全ての苦が消えると思いますが、どうでしょう。
これは世や自身から、神仏を感じながら生きられる生き方かとも思われますが、どうなんですかね。 オショーさんのハートの瞑想に、「闇を吸い込んで光を出す」というものがあります。
闇というのは、恐怖、恨み、悲しみ、怒り、惨めなどなど・・・の不快感情全般ということでいいでしょうか。
あとわざわざ吸い込もうとしなくても、通りすがりの人が投げてきます。
このストレスをハートチャクラで変容して出せば、それはハートの瞑想と他ならないでしょうか。
別に助けたくてやっているわけではなく、ストレスをキャッチしたままでは自分が苦しいからです。 鬼和尚さんはよく本心を観なさい、本心に気づきなさい、と言っていますが
本心というのは真意みたいなものでしょうか
人を赦したり、全ての人間を平等に観たり、本来の自分を生きることは
悟りといえますでしょうか >>197 よかったのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>198 人を赦すことは自分を赦すことじゃろう。
愛は自由ではないのじゃ。
少なくとも二人の関係があるからのう。
>>199 常日頃から死を想い、死に備えているならば家族の死も受け入れられるのじゃ。
自分が独りになったときのことをイメージするのじゃ。
死を超える修業に励めばよいのじゃ。
そのほかは自由に生きたらよいのじゃ。
好きな事をしたらよいのじゃ。
>>201>>202 それがわかったならば生活習慣を改めればよいのじゃ。
環境も自らよくしたらよいのじゃ。
そのために自分を観る法があるのじゃ。
自分が観えたならば今自分が何をしているかわかるじゃろう。
生活習慣を改めているのか、それとも怠惰にしているのか今ここにいる自分がわかるのじゃ。
環境もよくしようとしているのか、わるくしようとしているのかわかるじゃろう。
それがわからないならば自分を観ていないのじゃ。
今の自分を観て改めるのじゃ。 >>204 そのような者もすごいすごいとおだてて操ればよいのじゃ。
自分から掃除をしてくれるようになるじゃろう。
優しい言葉をかける言葉による布施にもなるのじゃ。
いろいろ試してみるとよいのじゃ。
>>205 消えないのじゃ。
自分も認識もなければ全ての苦は消えるのじゃ。
自ら仏陀になるとよいのじゃ。
>>206 なるかもしれん。
実践してみるとよいのじゃ。
不快ならば止めてよいのじゃ。
いろいろ試してみるのじゃ。
>>207 真意でよいのじゃ。
それは悟りではないのじゃ。
自我を滅し、認識をも滅したら真の大悟徹底なのじゃ。
それまで実践あるのみなのじゃ。 自我や認識をも滅している間だけが大悟なのでしょうか
自我や認識を滅した前と後では、どのような感じかた、意識の違いがありますか 鬼和尚、
役に立たなきゃ、助けなきゃというプレッシャーや焦燥感が物心ついたときから強烈にあるのですが
恐れを起点とした善行では、かえって相手の迷惑になることが多かったです。
相手のニーズに目がいかず、自分可愛さで役に立とうとしているのだから当たり前といえばそうかもしれません。
波動が怖れですから、それだけで迷惑でしょう。
菩薩チックな人を見ると眩しくて逃げたくなります。
自然と体が動くくらいライトになるまでは、毒にも薬にもならぬうんこ製造機でもいいでしょうか 目の前の作業をひたすら無心で集中しておこなっている状態は、
自我や認識が滅せられた状態とは違いますか? >>211
わしもうんこ製造機じゃが、生きててもいいのじゃ。
いつか、世の中の役に立つ日が来るじゃろう。 >>203>>209ありがとうございます。
すみません、かなり悩乱していたようです。
今まで、悪い方向に進もうとしていたのではないかと
考えるところがありました。
自分をもっとよく見てみます。 仕事 健康 心の平安 仲間
あえて重要な順に並べるとした、どのような順になりますか。
簡単に理由を説明してくれたら助かります。 >>190
お前が向いてる
>>191
そうではない
>>192
スルーしよう
ま
最小化しとこう
>>193
普通に生活
>>198
吟味しよう
>>199
普通に生活
ま
腹が減ったら飯を食う様に似る >>205
そうではない
ま
世の中は押した力で押してくる
>>210
調べよう
>>212
うん
>>216
どれも同じだ 本心を観て本心に気づくとは、
自分が何をしたいかを観て、何をしたいかに気づくことなのでしょうか。 あるいは自分がどう在りたいかに、気づくことなのでしょうか。 >>220
意味不明です
どういうことですか
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