愛憎って言葉があるのは、どちらも同じもので出来ているから。
相手に対する「これ以上ないほどの強い思い入れ」と言うやつ。

愛情に溺れた人は、自分が溺れていることを自認出来るが、
憎悪に溺れた人は、自分が溺れていることを自認出来ない。

イヤな人、嫌いな人に関わり続ける意味など本当はない。
とっととカットアウトして二度と会わなければいいだけ。
それだけなのに、溺れた人はそれが出来ない。絶対にしたくない。

何だかんだと理由をつけて言い訳をしつつ、自分を正当化しながら
どうにかして彼の近くに居続けようとするのは、どちらも一緒。

しかし、憎悪に溺れた人の方が哀れ。そこに幸せなどないから。