>>316,320
古流柔術に駆逐された訳ではなく、古流を駆逐したという訳ではなく
当時の柔道は云わば古流柔術諸流派の総合だったんだよ
武徳会において柔術を総合する流派、部門の名称として柔道(講道館柔道)が採用された
柔術部門の名称が柔道を採用し変わったのを参考に、剣術が剣道、弓術が弓道などに変わる(名称が採用された)
武徳会において古流を学ぶものは共通ルール流派として柔道を学び試合を行った
講道館柔道自体が古流をまとめたものであり、古流諸流派を統一していた立場
(戦前戦中の日本の徒手格闘技は云わば柔道に統一されていた)
高専にしたって講道館流に古流の人材が大挙して入り技を開発していったもので講道館の系譜であることに変わりはない
逆にしばらくのあいだ、海外においては柔道の名称はあまり浸透せず、講道館柔道も柔術呼びで通っていた
海外で現在も柔術呼びの流派は実は講道館系譜のものが多い
講道館にしろ武徳会にしろ免状と段位を別々に発行することでそれぞれ帰属意識を持って
対立的になりがちだったってだけで、流派としての違いがある訳ではない
柔道と古流柔術を別物に見がちだけど実際は大部分が重なっていたものだったってことは理解すべきなんだがね