>>333
90年代はこうな

■"MARCH"に至るまでの道
https://archive.md/S4SaM
"MARCH"より、"JAR"推しだった旺文社
1990(平成2)年になると、誌面にくくりの見出しが数多く登場するようになる。
他のくくりは後で述べるとして、“MARCH”に関連する大学のものでいうと、やはり一番目につくのは“JAR”や“JARWAK”だ。
写真は『私大合格』1990(平成2)年4月号にあった、旺文社ゼミの広告である。計5つのくくりが書いてあり、色々と興味深い(“甲京龍近”“日東専駒”“大東亜帝国”などについては後述する)。
しかしここでも「中央、法政、明治」の3大学は、“くくり”に登場しないことがわかる。

「“MARCH(マーチ)” =明治大学(M)、青山学院大学(A)、立教大学(R)、中央大学(C)、法政大学(H)という5大学を総称」が生まれた定説に疑問を投げかけた。定説では“MARCH”というくくりは、『螢雪時代』を中心に昭和30年代から普及したとのことだったが、その証拠を見つけることはできなかった。 昭和時代の『螢雪時代』を読むと、現在の“MARCH”のくくりではなく、「青山、立教」と「中央、法政、明治」は別のグループという認識が高かった(偏差値よりもイメージのくくりが優先されていた)。 ミッション系でおしゃれなイメージの「青山、立教」は、上智と一緒に頭文字をとって“JAR”というくくりが使われた。一方、「中央、法政、明治」の3大学には特別なくくりは生まれなかった。