東大卒ニートや無職が一定数存在するが、日本社会は努力したからといってすべてが報われる社会ではない
東大卒ニートや無職なんてまさにそのさいたるものといえるだろう。

いくら東大だからといって、一流企業にいけるわけでもないし、博士になれるわけでもないし、公認会計、弁護士、起業家、政治家になれるわけでもない。
高学歴になることは、人生の勝者となるための確立を高めてくれるかもしれないが、勝者になることを確約するものではない。
よく考えれば当たり前のことではあるが、この事実を理解していない輩が実に多い。

特に、5ちゃんねる「学歴板」「受験サロン板」の住人はその傾向が強いと言えるだろう。
彼らの大半は、人生における最終的なゴールを「どこの大学を出たか」にしているのだ。これは大きな間違いである。

人生における最終的なゴールとは、色々と議論の余地はあるだろうが、「就職先」であると考える。
どこに就職したかが人生においては最も重要だ。東大だろうが慶應だろうが、新卒採用で失敗したら、そこで人生終了。 チーン
途方もない残りの人生は、まさに消化試合である。

特に日本は、「新卒採用絶対主義」である。東大法学部だろうがハーバード大学だろうが、既卒になったが最後、そこで人生終了。想像を絶するブラックな人生の幕開けである。
既卒になった瞬間、あなたを待ちうけているのは、派遣・ニート・ブラック起業・零細企業・ワーキングプアといったブラックブラックのオンパレードである。
このような惨状にならないためにはどうしたらよいのであろうか?

それは、幼少の頃から「情報リテラシー」をきちんと身につけることであると思う。
幼少の頃から、広い視野と行動力を持ち、混沌とした情報の中から有益な情報を要領よく入手する能力を身につけておくことが必要であろう。

努力したにもかかわらず、報われない輩は、えてして「情報リテラシー」に欠けるオオバカヤローが多い。5ちゃんねるでは最近「情弱」という言葉をよく見かける。情弱とは、情報弱者の略であり、情報リテラシーに欠けるという意味を指すのであろう。