オレは1960年代の前半に慶應・早稲田・関学・同志社に
全部受かって、慶應・早稲田・同志社を蹴って関学に入学したわ。

オレは関西の進学校でも上位の成績やったから、
先生には、京大や阪大は受けへんのか?と言われとった。
滑り止めとして、二期校の国公立も受けられたしな。

当時の関西の進学校は今以上の国公立至上主義で、
成績のエエやつは京大や阪大を目指しとった。

ただ阪大に関しては、医学や理工系は良かったけど、
文系に関しては、関学や神戸大のほうが良かったな。

オレは独特の教育をしとる私学のほうが良かったから、
阪大くらい合格できる学力があっても、慶應・早稲田・関学・同志社
を受けた。

そのうち慶應と早稲田は単なる力試しと東京見物やった。
東京へ下宿して4年間も高い下宿代払う余裕もなかったしな。

本命は関学、第二志望が同志社やった。
関大・立命館? そんなレベルの低い大学はオレなんか
目つぶっても合格できたから受けんかった。

そんでめでたく関学に合格し、慶應・早稲田・同志社を蹴ったわけや。

オレはそんなに裕福な家庭やなかったけど、
関西在住の頭のええ私学志望の裕福なヤツでも、
力試しで合格した早慶を蹴って関学に入学しとったで。

同志社は関学にとって格下やから、関学と同志社やったら
英文・法科・工学を除けばほぼ全員が関学を選ぶわな。