41歳・郵便配達員が東京大学へ! 仕事と学生の両立をやり抜いた東大OBの実話

あなたは40歳にして、仕事をしながら大学に入学するという決断ができるだろうか。
聴講生や大学院生としてではなく、フルで単位を取る社会人大学生として、だ。

確かに会社に通いながら大学に通っている人もいなくはないが、仕事との兼ね合いもある。
平成27年3月の文部科学省の集計データによれば、大学(学士課程)への社会人入学者数は10162人で、大学院生(17517人)、
科目等履修制度(12860人)に劣る(*1)。

大学は学び直しにうってつけの場所。しかし、やり抜くにはハードルが高い。
そんな印象を持っている人は多いのではないか。

現在63歳の小川和人さんは、江戸川郵便局集配課に勤務していた1997年、41歳にして東京大学教養学部文化III類に入学。2001年にストレートで卒業した。

40代という働き盛りの年齢であり、妻に2人の子どももいる。明治学院大学を卒業しているので学士も持っている。
そんな、小川さんは6年以上も受験勉強し、東大に入った。東大で哲学を学びたいと思っていたためである。
『41歳の東大生』(草思社刊)は、当時の4年間を中心にエッセイ形式で振り返る、社会人大学生の生活を垣間見ることのできる一冊だ。

■周囲の理解がなければできなかった「東大生活」

1時間ごとの有給取得は今でこそ少しずつ普及してきているが、1990年代後半には珍しかったはず。
まさにその副班長の回答は今で言うなら花丸とも呼べるべきものだ。

実はこのほかにも、小川さんが職場の人たちに支えられながら東大生活を送るシーンが数多く出てくる。

本郷キャンパスに進学することが決まった頃、班長が病気で倒れ、長期入院することになった。
その結果、小川さんの分だけでなく、班長の分の仕事も引き受けることになった同じ班の人たちは残業の毎日になってしまったのである。

それでも、みな「大丈夫」と言うばかり。副班長は相変わらず、小川さんの休みを真っ先に勤務指定表に書き込ませてくれていた。
そんな状態で大学通いを続けていいのだろうかと悩む小川さんは、班長のお見舞いを兼ねて考えを聞いてみることにした。

小川さんが病室に入るや否や、班長が「小川君だ!」と一言。実は、ちょうど隣にいた奥さんに、小川さんのことを話していたのだ。
東大に合格し通っていること、仕事は休まず出ていること、班の皆が小川さんを卒業させようと応援していていること。
班長は「小川君は七班(配達班)の誇りみたいなもんだ。みな応援している」と優しい言葉をかけてくれた。

東京大学に入り、学び直しながら、仕事もしっかりこなす小川さんの姿は、周囲の人達にとっての励みにもなっていた。
実は大学に通う前、郵便局の上層部の一部から入学を反対されたことがあった。
しかし、自身の課の課長が反対する人を飛び越え、局長に直談判してくれていた。
周囲の理解と配慮がなければ、社会人大学生として仕事と学問の両立は難しいし、そもそも入学もできなかっただろう。
その意味で、小川さんは幸運に恵まれていたのだ。

ただ、家族とのやりとりはほとんど触れられておらず、唯一、4年間の間に一度だけ家族4人で遊んだことがあるというだけ。
旅行帰りの妻子を迎えにいったその帰り道、夕立の中でちょっとした競争をした。
そのエピソードの中に出てくる「何年も、遊んでやってなかったなあ」という小川さんの言葉は、家族に対するさまざまな想いが詰まっているように見える。

http://www.sinkan.jp/news/9571?page=1