40年前、北大に入り恵迪寮に住み、応援団に入って
寮歌を歌うのが夢だった。雪印に入り、藤女子大の娘と結婚し
北海道に骨を埋めようと思った。
1浪後の共通一次で病気により失敗し、理工電電に入った。
北大の公園のようなキャンパスと野田との格差に愕然とした。
親からはせめて帝大に入ってほしかったと言われたが
理科大に入るといった途端、おまえは4年で卒業できないと宣言された。
案の定2浪したが、就職時にそれを咎める企業はなかった。
留年中に知り合った東女の彼女と結婚し、中部の企業に就職した。
仕事の納期が迫るとまた留年するというトラウマで夢にうなされ納期前に仕事は終える。
納期厳守とどんな部門でもすぐ対応できる能力を評価され、
フルタイムで働く女房との世帯年収は2000万を超えた。
名古屋駅前のタワマンと郊外の果樹園付きの別荘含め3件(内2件は実家)持ち。
金融資産も大台1本超え。車は女房共々1000万超えのBMW(の認定中古車)。
あのとき北大行っていたら、雪印は倒産して・・・
理科大学長の言葉が身に染みるこの頃です。