理科大には理学部と工学部と基礎工学部があるのに理工学部もある理由
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>>6
まじかよ
5000人ぐらいのイメージだった 工で精鋭型をつくり、理工で量産型をつくる
そして世間に排出 工学部 理学部だけでいい
なぜなら教員の天下り先
あとは、理科大の名前にひかれて受ける人が多かったから
理工 薬 経営 基礎工を増やしてみた説 >>10
理科大の学部が作れらた順は
理学部
薬学部
工学部
理工学部
基礎工学部
経営学部
薬学部が2番目 正解を教えよう!
今から60年ほど前の昭和30年代、理科大は理学部だけの小さな、そして特異な大学だった。
その頃、日本は初の東京オリンピックを控え、高度経済成長のただ中にあり、世の中は理系の
技術者を必要としていた。
理科大の理事会はその要請にこたえるべく昭和35年に有機化学をベースにする薬学部、
昭和37年に理学全般をベースにする工学部を設置した。
しかし、これらの学部増設に伴う学生数の増大に対し、狭隘な神楽坂キャンパスでは
大学設置基準をクリアすることができなかった。
そこで、当時の菊池正士学長(文化勲章受章)は工学部の1年生を野田キャンパスに
通わせ、神楽坂・野田の一体利用により大学設置基準をクリアするという方法を考案した。
これを「野田工学部」といい、1年だけ存在した。
その後、野田工学部を大規模に発展解消し、4年間を野田キャンパスで教育する
理工学部が誕生した。
その後、神楽坂・野田の一体利用による大学設置基準のクリアは神楽坂の理・薬・工の
3学部すべてに及び、宿泊研修施設であるセミナーハウスを設置して体育実技を泊まり込みで
行ったり、一部の研究室を野田に設置した。 理学部、工学部があるので理工学部は不要という意見はよく聞かれるところだが、
理工学部・野田キャンパスがなければ大学設置基準がクリアできず、理科大は大学として
設置許可されないということになる。 基礎工学部は「素材」、「情報」、「生命」現代の技術革新に対応する学部として、
昭和62年(1987年)に設置された。
同時に、「理科大の卒業生は知識・技術は身につけているが人間的な面白みに欠ける」
という当時の理工学教育の反省から、新しい教育の試みとして一年間の全寮制教育を行う
ために北海道の長万部キャンパスを設置した。これは戦前の旧制高校を範にしたものであった。
理科大理事会は基礎工学部の全寮制を廃止し、4年間の葛飾キャンパスでの教育を予定しているが、
これでは単なる工学系学部を3つ設置するだけである。
教育的観点からは、基礎工学部の全寮制廃止は非常に残念なことである。 阪大は「工学部」の他に「基礎工学部」を別の場所に後から追加
内容の被る学部を別名で作るのは阪大の方が先で理科大が阪大の「基礎工学部」という名前を真似した
理学部と工学部をまとめて「理工学部」とするのは早稲田が先
理学部だけだと規模が小さい大学は国立も私立とみんな真似した 理科大の各キャンパスの設置手法は郊外キャンパス設置の成功例として大変興味深い。
現在の理科大の各キャンパス近くには必ず鉄道の駅があり、なにもない田舎とよく揶揄される
野田キャンパスも東武野田線の運河駅から徒歩5分の近さである。
いくつかの乗り換えはあるものの、東京駅まで1時間以内で行けるのは千葉大学西千葉キャンパス
と変わらない。これほどの立地で面積が50万u近くもあるキャンパスが国公立大学を含めて
どれほどあるだろうか?
北海道の長万部キャンパスでさえ、JRの駅から徒歩15分で行けるという。
理科大のキャンパス立地の選び方は特筆に値する。 >>12
>>13
>>14
詳しい解説ありがとう
そういうことだったのね つまり大学として微妙だから
なんとか大学として認められるためにあるってこと?
なんかダサいな >>21
それが50年前に野田キャンパスを開設した理由の1つ。
それ以来、大型の実験設備を設置し、現在は以下のような研究機関の所在地になっている。
・生命医科学研究所
・総合研究院
・火災科学研究所
・光触媒国際研究センター
・赤外自由レーザー研究センター
・イメージングフロンティアセンター
・ゲノム創薬研究センター
・DDS研究センター ×赤外自由レーザー研究センター
○赤外自由電子レーザー研究センター 基礎工、経営、その上諏訪、山口とFラン作った時は
先行きやばかったけど、葛飾新設、経営の神楽移転、
山口と諏訪の効率化と山口の薬学設置で
あっという間の大逆転。おまけにアジア圏私学初のノーベル賞輩出。
最近の経営陣はすごいな。 ●東京理科大の工学系の学部が設置されたのは比較的新しく、東京4工大などよりもずっと後発だとという事実を最近知りました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13163638803?fr=sc_scdd&__ysp=55CG56eR5aSnIOW3peWtpuezuyDlvoznmbo%3D
東京理科大学の沿革
1949年、東京理科大学創立と同時に理学部設置
1962年、工学部設置
1967年、野田校舎に理工学部設置
1987年、基礎工学部設置
戦後〜1970年代中頃までは、戦前〜戦中設置の日大理工、四工大やマーチ(立教、青学除く)
の方が工学系では理科大より優勢
理科大の偏差値が上がったのは、全国に散らばった理科大理学部卒の教員が
何も知らない高校生に、やみくもに工学系も理科大を受験させたことが大きい 理学部、工学部、理工学部、基礎工学部
こんだけ学生がいれば、学校推薦で就職できないのも当然やな ビートたけしは1947年生まれか
工学系に行こうと思ったら18歳の1965年時点で理科大工は出来て3年
理科大理工は存在せず
そりゃあ選択肢は明大工になるわな >>25
諏訪と山口を作ったのは理科大じゃないぞ。
それぞれの地元自治体が金を出して作って、その運営を学校法人東京理科大学に委託していただけ。こういうのを公設民営大学と呼ぶのを知らないの?他にもいくつかあるぞ。
だから公立化と言っても、元の持ち主に運営まですべて返しただけのことで、純粋な私大が公立大学に変化したわけではない。 >>26
そんな愛校心のある高校教員を見たことがない。
高校の進路指導の第一義は国立大学。
国立大学に何人入れるかでその高校の評価が決まる。 東京理科大学の沿革
1987年、基礎工学部設置
これ阪大のパクリやなw >>31
それはある意味、当たっている。
理科大の基礎工学部構想が持ち上がったのは、小谷正雄学長(文化勲章受賞者の時代。
小谷学長は東大の教授時代に数多くの後進を育て、小谷研究室は東大物理科「小谷スクール」と
呼ばれていた。
東大を定年退官後は阪大に移り、物性物理学から生物物理学に転身、日本生物物理学会を創設し、
初代会長となった。
その後、理科大の第4代学長となり、理工学部に理科大初の生物系学科である応用生物科学科を
創設した。
理科大基礎工学部は当初の構想では、「基礎技術工学部」という名称だった。
それが基礎工学部となったのは、小谷学長の経歴に関係があると思われる。 上智大学1962年理工学部設置
上智理工も後発なんやな
なぜか、早慶の後は後発組の上智・理科大が難易度で並んでるが 理科大は一番上の方で上智レベルの学科がいくつかあるだけで
下の方はマーチレベルだけどな
数年前は一番上でも上智より2.5低かったわけだが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています